普段は旅行情報や海外情報を主に発信している当ブログですが、これまでの旅を通して感じたことをフォトエッセイ形式でお届けする新企画が「世界半周エッセイ」。
各国で体験した出来事や、出会った人たちとの思い出がテーマとなっています。
「コソボ」と聞いて、何をイメージするだろうか。
旧ユーゴスラビアの国、コソボ紛争、民族浄化…
誰もが新たなる世紀の幕開けに期待を向けていた1990年代末。
「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれたバルカン半島で再び火がついたコソボ紛争は、多くの人にとって記憶に新しいものがあるかもしれない。
訪れる前は何のイメージもなく、むしろ「危なそうな国」なんて考えていたコソボ。
そんな国に、入国からたった1時間で恋に落ちてしまった物語。
…妙に近代的な大型バスに揺られ、コソボに何事もなく入国してから数十分が経った。
目的地はプリズレンという町。
世界遺産に登録された旧市街を持つ美しい町で、コソボで一番の観光地だそうだ。
特に下調べもせずに行き当たりばったりで乗ったバス。
どうせプリズレンの街のどこかしらにあるバスステーションに到着するものだと考えていた。
「プリズレン!」
荒々しくバスを停車させた運転手が大声で叫ぶ。
バスを降りて、驚く。
一面の荒野に延々とのびる幹線道路の脇。くたびれた一軒の食堂と、開いているかどうかもわからないボロボロのガソリンスタンドがあるだけの、サービスエリアと呼ぶには申し訳ないほどの粗末な場所だった。
少なくともここは「プリズレン」ではない。
世も末のような雰囲気のこの場所でバスを降りたのは、自分を含め数人の地元民らしき人たちだけ。
みんな家族が車で迎えに来ていたようで、バスを降りるや否やそれぞれの車に乗り込み走り去ってしまった。
残されたのは、途方に暮れる一人の日本人と、暇そうな客待ちの個人タクシーの運転手。(“TAXI”の表記もなく、自家用車でタクシー業務をしているようだ)
「ここじゃなくて、プリズレンに行きたい!」とバスの運転手に言っても、全く英語は通じず(「プリズレンはここだ!」の一点張り)、両替所もATMすらもない。
入国したばかりでコソボの通貨も持っていないし、どうすることもできない。
バスの運転手は、客待ちのタクシーの運転手を呼び寄せ、二人で何やら話をしている。
そのとき、勘づいた。「こ、これは…ぼったくりタクシーとやらか?」と。
海外を旅している人なら一度は耳にしたことがあるであろう(なんなら被害にあったことがある人もいるかもしれない)、悪名高い「ぼったくりタクシー」(または「白タク」)。
メーターを用いずにわざと遠回りをしたり、後から法外な料金を請求してきたりする、アレだ。
「どうしよう…というか、ここはどこ?」などと考えているうちに、バスはあっけなく走り去った。
猜疑心に満ちあふれた外国人をぽつりと残して。
タクシーの運転手は、とびっきりの笑顔。
「ようやくカモがやってきた」なんて思っているんだろう。
「現金持ってない!」と英語で言いまくっても、(アルバニア語で)「とにかく乗れ」らしきことを言う。
振り切って歩き去ってしまおうとも考えたが、そもそもここがどこだかわからない。
スマホの電波も入らず、Wi-Fiもない。頼みの綱のGoogle Mapでさえなぜか機能しない。
「この旅初のぼったくりタクシー…」と思いながらも、そもそもぼったくられる現金を持ってないわけだし、どうしようもない。そして、暑い。
ええい、もうどうにでもなれ。何か言われたらぶっ飛ばしてやろう。
そう腹をくくってタクシーに乗った。
夏真っ盛りの8月半ば、灼熱の昼下がりだった。
タクシーが走り出すと、開け放たれた窓から心地よい風が吹き込む。
そしてその風は、汗にべっとりと塗れた肌を冷やすだけでなく、頭を冷やす効果もあるようだ。
なんとなく流れで乗ってしまったぼったくりタクシー。これからどうなるのか…。
そもそも、目的地のプリズレンらしき町はいっこうに目に入ってこない。
今かいている汗が夏の暑さから来るものなのか、それとも冷や汗なのか。
もはやわからなくなっていた。
タクシーの運転手は、こちらが何一つ理解していないことなどお構いなしとばかりに、終始笑顔で喋りかけてくる。(アルバニア語で)
「さすがは『コミュニケーション能力お化け』世界代表のアルバニア人の血を引くコソボの人だ…」なんて、感心させられたほど。
詐欺師ながらあっぱれである。敵ながら塩でも送ってあげたいくらいだ。
単語やジェスチャーで理解できたのは、彼が昔ドイツで出稼ぎして(おそらく建設現場か何かで働いて)生まれ故郷に戻ってきたことくらい。
適当に相槌をうって話を聞き流しながらも、脳はどんどん冷静にこの状況を把握しようとする。
「外国に住んでた」などと言ってくるのも詐欺師の定番だし、どうしてドイツにいた人がコソボの片田舎で個人タクシーの運転手をしているのか。考えれば考えるほど、怪しい。
走ること20分ほど。
先ほどまで窓から見えていた一面の荒野に鄙びた民家がぽつりぽつりと見られるようになり、とうとう街らしい賑わいを帯びてきた。
目的地であるプリズレンに入ったことは明らかだった。
どこか山の中に連れて行かれて身ぐるみはがされる…
といった心配は、これでひとまず無いだろう。
街に入って5分もしないうちにタクシーが停まる。
そこは、一目見てバスステーションだとわかる佇まいの場所だった。
いったいいくら請求されるのか…
はたまた、ATMまで連れて行かれて現金を引き下ろさせられるのか…
色々と考えを巡らせながらも拙いアルバニア語で「で、いくら?」とこちらから尋ねる。
(コソボの通貨は持っていなかったが、最悪アルバニアで余ったレク(現地通貨)を渡そうと思っていた)
すると、運転手の顔からたちまち笑顔が消え、同時に困惑した表情となり、「ちょっとここで待て」らしきことを言い残してどこかへ立ち去っていく。
このとき、車を降りて走って逃げることもできた。
なのにそうしなかったのは、いったいどうしてだったのか…今では覚えていない。
数分後。運転手は一人の若い男を連れて戻ってくる。
少し英語が話せる様子のその男に、何やらアルバニア語で話している。
「うわ…詐欺師仲間連れてきやがった…」と思い警戒心を強めようとしたその瞬間、若い男が口を開く。
「さんきゅー、かむ、こそぼ!」
最初、どういうことなのか意味がわからなかった。
タクシーの料金のことを尋ねても、
「マネー?ヨー ヨー!」(「ヨー」はアルバニア語で”No”)の一点張り。
つまり、タクシーの運転手はバスの運転手に頼まれ、途方に暮れた様子の謎の外国人を無料で乗せ、「コソボに来てくれてありがとう」と伝えるためにわざわざ英語が話せる人を探して戻ってきた。というわけだ。
…疑っていた自分を恥じた。
同時に、乗車中にひたすら笑顔で喋りかけてきていたのは、警戒心でいっぱいなのが明らかな、どこの馬の骨とも知れない外国人を和ませようとしていたのか。と察した。
この時は旅に出て半年ほどだっただろうか。
何となく「旅すること」を冗長に、退屈に感じていた頃だった。
せっかくその場所にいるのに、どうにも心から楽しめていないことは自覚していた。
(バルカン半島の夏の暑さもあったのかもしれない)
これまで60ヵ国以上を訪れたけれども、「ウェルカム」ではなく「来てくれてありがとう」と現地の人に言われたのは、後にも先にもコソボだけだった。
(なんなら、このタクシー運転手以外にもこの国だけで十回近く言われた)
お金を払うべきだと思ったのだが、現金はない。
アルバニアで買った煙草を一箱丸ごと、お礼に渡そうとしたが、「一本でいい」と言われた。
煙草に火をつけた運転手は、数十分前に初めて会った時と全く変わらぬ笑顔で手を振りながらタクシーに乗り込む。
真っ黒な排気ガスを出しながら来た道を戻っていくタクシーを見送りながら、これからこの国で出会うであろう風景や人々に、もっと言えば「旅そのもの」に対して、どうしようもなく胸が高鳴るのを感じた。
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