ツァナ村の朝は早い。
山影から徐々にその存在を現してくる太陽に照らされ、モノクロだった村は本来の色彩を取り戻していく。しかし、相変わらず人の影はない。
昨日、はじめてこの地に足を踏み入れた時に感じた、不気味なほどの静けさ。
それと変わらぬ静けさに支配されているはずなのに、いま目の前に広がる風景はどこまでも幻想的で、「秘境」と呼ぶにふさわしい雰囲気に満ちている。
昨日は、本当によく眠れた。
部屋のソ連時代そのまんまのベッドは快適とは言いがたいものだったが、そんなの気にならないくらいに。
きっと思っているよりもずっと、体は疲れていたのだろう。
インターネットが通っていない、携帯の電波さえ届かないツァナ村。ここでは、夜は寝るための時間だ。
卓上のワインが空になり、薪ストーブの火の勢いが弱まり、空気が少しひんやりとしてきた頃。それが就寝の合図だ。
古来から人間にとって、夜とはずっとそういうものであったはずなのに。たった一晩ながらも、なんとも新鮮な体験をしている気がした。
ここまで山歩きをしてきた中で、一日を通してネットを介して繋がっていなかった日はなかった。
こんなコーカサスの山奥の地域でも現実とリアルタイムで繋がれていたことは、よく考えてみればものすごいことだったのかもしれない。
もちろん、現代のテクノロジーに、どっぷり浸った身からすると、不便だ。
しかしこの不便さがかえって、人間の手など遠く及ばぬ大自然のど真ん中に、確かに自分が存在している事実を再確認させてくれる。
予期せぬ来訪者を温かく出迎えてくれたゲストハウスの家族に礼を言い、電話番号を交換し(ツァナ村では通じないので、冬にクタイシに来た時は立ち寄れとのこと)、今日も歩きはじめる。
今日歩くのは、ツァナ村からメレ村までの18kmの簡単な道のりだ。
メレ村まで行けば、商店やちょっとした飲食店があるそうだ。
ゲストハウスも二軒あるという。
おそらく立派な「生きた村」に違いない。
ツァナ村を横目に眺めながら、緩やかな坂を下っていく。
ここが「死にゆく村」だなんて、いまだに信じられない。
それほどに、朝の光に包まれたツァナ村は美しくて、生命の輝きに満ちているように感じる。
きっと一晩過ごしたゲストハウスのおかげだ。
人間の営みというものを、そのほんわかとした温かみを、肌で感じられたからこそ、この村の風景が活き活きと輝いて見えたのかもしれない。
周囲の風景は、草木もまばらなコーカサスの岩山の風景では、もうない。
緑色が支配する深い山々が見渡す限り続いている。
漂う空気さえも、夏の残り香に満ちているようだ
太陽で熱された空気は、肌にじゅわりと染み込むような暖かさ。
ここまでずっと羽織ってきたパーカーと長ズボンは、もう必要ない。
おもむろにそれらを脱いでバックパックに詰め込む行為が、なんだか下界へと向かうための儀式のようにも思える。
昨日まで、あんなにコーカサスの山々に囲まれた日々を満喫し、愛してさえいたのに、なんとも現金なものだな。と、可笑しくなる。
開放感を抱くとともに、久々に感じる下界の匂いに、いつかの遠い夏を思い出すような懐かしい気持ちになった。
まだ夏が過ぎ去って一ヶ月ほどしか経っていないというのに。自身の体が、完全にコーカサスの山々の厳しい気候に順応していたことに驚く。
身軽になって、なんだか心も軽くなった気分で歩きはじめる。
ものの数分で、それまでの砂利道が舗装道路に変化した。
ここからはコルルダシ川に沿って、この舗装道路がずっと続いていく。
少しずつ、人間が暮らす土地に近づいているのだ。
それにしても、よくこんなところに道路を通したものだと感動する。
切り立った岩山は、グロテスクなほどにゴツゴツした肌を露出する。
上を見やると、今にも落ちてきそうな様子でこちらに突き出した岩が、獲物を待ち構えているようだ。
道路は申し分なしの状態になり、歩きやすさはケタ違いになる。
しかし、こんな立派な道路が敷かれているのに、車は一台も通らない。
ここクヴェモ・スヴァネティ地方が、人々に忘れ去られた土地であることを象徴しているような気もする。
一時間半ほど歩いたところで、道路工事をしている箇所にぶつかる。ちょうど昼休憩の時間のようで、男たちが机を囲んでいるのが見える。
「モディ!モディ!」とこちらを呼ぶ声が聞こえる。
ジョージア語で「こっちへ来い」の意だ。
ジョージア、特に地方部において、男たちが数人集まっている場に「モディ!」と呼ばれるということは、必然的に酒を飲まされることを意味する。
もう二年以上この国にいて、酒に関する文化はしっかりと理解しているつもりだ。
このときも「案の定」だった。
とってつけたような机の上に、トマトとキュウリのサラダやら、赤カブの煮物やら、パンやらが並び、極めつけに巨大なボトルが鎮座していた。中には透明な液体がなみなみと。
チャチャだ。
アルコール度数60%ともそれ以上とも言われ、この国の男たちの血の一滴までを構成する、ぶどうの蒸留酒だ。
仕事中なのか休憩中なのかはわからないものの、やはりお決まりの流れでチャチャが注がれ、目の前に差し出される。
あと10km近く歩かねばならないことは解っているが、注がれた酒を断るほど無粋ではないし、弱くもない。
クイッと喉の奥に押し込んだ自家製チャチャは、なんだかいつもより強く感じられた。
でも、喉が灼けるようなあの独特の味わいは健在だった。
こんなど田舎の、車も二時間に一台通るかどうかという場所の工事現場で働く男たちにとって、バックパックを背負ってえっちらおっちら歩いて来た素性も知れない外国人は、どう映るのだろか。
そんなことを考えたのも最初の数分。
すでに酒がみっちりと入っていたらしき男たちはいかにも上機嫌で、パンやらチーズやらを食べさせたがる。
なんだかんだで話が弾み(一杯だけと言って飲んだのに、たぶん四、五杯は飲まされた)、気づけば一時間以上も男たちの酒盛りに付き合っていた。
そろそろ行かなければ。
(こちらが望んだことでは決してないにせよ)飲み食いさせてもらったことに厚く礼を言い、気分良く歩きはじめる。
先ほどまでと同じような山の風景が続いていく。山歩きという観点から見れば、単調で退屈な道だ。
でも、やはりアルコールのせいだろうか。なんだかこの単調な道のりさえも楽しく思えてくる。
気づけば大音量で音楽をかけて熱唱しているくらいに。
歩きはじめて一時間ほど経った頃だろうか。音楽に合わせて気持ちよく歌っていたら(GLAYの『とまどい』のラストサビ前の一番良いところだった)、携帯の通知の音が連続して入り、「一人カラオケ大会inコーカサス」の邪魔をする。
何事か。と思いスマホを取り出してみると、携帯の電波が入ってきていた。
ここまで二日近く電波の届かないところに居た分の通知やらショートメールやらが、一気に入ってきたのだ。
このときほど、非現実から現実へと一気に引き戻された瞬間は、これまでの人生で無かったかもしれない。
人の手の及ばないコーカサスの大自然を抜けきったことを、否が応でも実感させられる。
一抹の寂しさを抱くと同時に、日常の「当たり前」が今、この掌の中に戻ってきたことへの安心感を強く覚えた。
しばらく歩くと、川沿いにじゃがいもの畑が広がっているのが見えてきた。
作業中らしき村人の姿も遠くに見える。
本日の目的地・メレ村に入ったのだ。
メレ村には二軒のゲストハウスがあるらしいが、村に入って最初に目にする方を選んだ。
というのも、この宿のオーナーは昨日宿泊したツァナ村のゲストハウスのオーナーの知り合いだそうで、「良い人だから」とのお勧めをもらったためだ。
設備は最低限ながらも、十分なものだった。
電気もガスも通っており、シャワーのお湯を沸かすのにわざわざ薪を燃やす必要は、もうない。
肩に食い込むような重たいバックパックを下ろし、宿の人に夕食の時間を尋ね、メレ村の散策に出ることにした。
メレ村に関しては、メスティアやウシュグリで出会った数人の旅行者から話を聞いていた。
いずれも、クタイシからクヴェモ・スヴァネティ地方を登り、ウシュグリ村を経てメスティアに到着したサイクリストたちだ。ちょうど自分と反対方向で、数週間前にまさにこの道を旅したことになる。
彼らは、「あそこまで閉鎖的な雰囲気の村は初めて見た」と言う。
自分が宿泊する宿とは別のもう一つの宿に泊まったそうなのだが、そこでの滞在も「微妙だった」と。
そんなネガティブな話を聞いてしまうと、どうしても身構えたくなるのが人の性だ。
いっぽうで、実際に足を踏み入れて見たメレ村の第一印象は、「よくあるジョージア地方部の寒村」だった。
しかしながら、少し田舎道を歩いただけで、そこはかとない閉塞感のような雰囲気が村全体に漂っていることに気が付く。
天気が悪いわけでもない。むしろ、午後の終わりの柔らかい光に照らされた村の風景は、素朴で美しいものだ。
では、この閉塞感はいったいどこから来るのだろうか。
おそらく、村の人の感じや態度なのかもしれない。そう悟った。
ジョージアに限らず、ある国で他所者が地方部を訪れる際は、こちらから現地語で挨拶をするのが基本中の基本だと考えている。
これまで訪れたジョージアの地方部ではだいたい、「ガマルジョバ」と挨拶をすれば、同じセリフが返ってきた。その数秒前にこちらを訝しむような視線を投げかけていた様子の人でさえも、だ。
しかし、メレ村ではそれが当てはまらないような気がした。
十五分ほどの散策で十人余りの村人とすれ違い、もちろんこちらから挨拶をしたのだが、返してくれたのはたったの二人だけだった。
ジョージアに二年半滞在していて、各地の田舎へと赴いてきたが、ここまで返答率が低い場所は初めてだった。
はじめこそ、「耳が遠くて聞こえていないのか…?」なんて思っていたけど、それも違うようだ。
どの人も両目の焦点をしっかりと合わせ、こちらをじいっと、無表情で見つめているのだから。
サイクリストたちの感覚は的を得ていたのかもしれない。
彼らが数週間前に抱いた「閉鎖的な村」という印象を、そっくりそのまま追体験しているかのようで、なんだかちょっと可笑しくなった。
もはや「ジョージアで一番閉鎖的な村」も、ひとつの思い出として楽しんでしまおうではないか。
そう考えを切り替えるくらいには楽天的だし、そうでなければ、そもそも旅なんてきっと向いていないはずだ。
メレ村には、日用品や食品を売る商店が一軒ある。昨日宿泊したツァナ村のゲストハウスのオーナーの情報だ。
数日ぶりの「商店」という、人間の営みに欠かせない要素の一つに再会することを、それはそれは楽しみにしていた。
それに。ここ数日間のウシュグリ村からツァナ村、そしてここメレ村までの40kmほどの区間には、商店はいっさい存在せず、ちょうど切らしそうになっていた煙草を購入する気も満々だった。
メレ村までは、大都市・クタイシからの舗装道路が敷かれているし、いくら山間部とはいえ、そこまで輸送コストがかかるわけではない。多少は山プライスだったとしても、たかが知れているだろう。あわよくば、もう一週間以上も口にしていないビールも買って…
そんな淡い期待で胸がいっぱいだった。
数日ぶりのビールを目前に控えて高揚する心の前に、無愛想な村人による穴が開くほどの視線くらい、いっさい問題にならない。
到着した商店は、民家の庭に掘っ立て小屋を建て、最低限の商品を取り扱っているだけのものだった。
その扉は固く閉ざされており、小さな呼び出しブザーを押して家の人を呼ぶシステムのようだ。
ブザーを押して、待つこと数分。
世界のありとあらゆる不機嫌さを顔に貼り付けたような形相のおばさんが、ぶっきらぼうに扉を開ける。笑顔で挨拶をしても何一つ返ってこないのは、もはやメレ村の風物詩だ。
おばさんの愛想など、別に要らない。
ただ煙草が欲しいのだ。あわよくばビールを売ってくれ。
しかし、煙草とビールの値段を尋ねたたったの数秒間。おばさんの不愛想さに皮肉を込めんばかりに、自身の顔に無理矢理貼り付けていた笑顔が引きつったことが、自分でわかった。
いずれもジョージアの一般的な価格の二倍から三倍。
アクセスがやや不便な山間部の個人商店であることを考えても、あまりにも高すぎる。
こちらの足元を見ているのか、それともこの村ではこの価格がまかり通っているのかは分からない。(おそらく前者だろう)
たとえ煙草やビールを我慢しようが、こんな不愛想な人が営むぼったくり商店に一銭たりとも金を落としたくない。少なくとも、そう思った。
何も買わず、店を開けてくれたことに対するお礼だけをぼそっと告げ、逃げるように宿へ戻った。
肩を落として宿に戻ると、なんとも絶妙なタイミングで夕食の準備が整っていた。
温かい野菜のスープに、スヴァネティ地方の郷土料理・クブダリ。そして山盛りのポテトとサラダ。
「五臓六腑に染み渡る」とは、まさにこのことに違いない。
ほんの数十分の散策で辟易し、瀕死状態となった心のHPが一気に回復する。
食べることって、偉大だ。
これまで数週間に渡るスヴァネティ地方滞在を通して、散々食べてきたクブダリ。
ここではひと味もふた味も違う。
メスティアやウシュグリなどゼモ・スヴァネティ地方で一般的なクブダリは、円形の薄い生地にひと口大の牛肉を挟んで焼き上げる。
生地の食感はサクサクしており、「牛肉ステーキパイ」という表現が最も近いと思う。
いっぽう、ここクヴェモ・スヴァネティ地方では、楕円形のラグビーボールのような形の厚めの生地に牛肉を挟むそうだ。
生地はふんわり、もっちりしていて、パイというよりもパンに近い食感だ。
いろいろと世話を焼いてくれ、気を遣ってくれる宿の家族は、卓上の料理を次々と平らげる来訪者を見て嬉しそうな笑顔を浮かべる。
おばさんが「うちのクブダリ、どう?美味しいでしょ?」と、目を輝かせながら尋ねてくる。
うん。ものすごく美味しい。
冗談抜きで、これまで食べたクブダリで一番かもしれない。
味はもちろん抜群に良いのだが、この閉塞感に覆われた村に唯一あるオアシスのような暖かい雰囲気の場所で食べていることも、きっとその美味しさを強めているに違いない。
「本当に美味しい!」と、おばさんに笑顔で応える。
何のお世辞も交えずに、できるだけ本心がそのまま伝わるように、先程の商店で貼り付けていたものとはまったく違う種類の笑顔だと思ってもらえることを願いながら。
・山男日記(序章)「スヴァネティの山に呼ばれて。」
・山男日記①「スヴァネティの真髄に酔う一日。」(メスティア~チュヴァビアニ)
・山男日記②「中世の村を目指して。」(チュヴァビアニ~アディシ)
・山男日記③「最高の一日に、最高の絶景を。」(アディシ~イプラリ)
・山男日記④「山の神に捧ぐ歌」(イプラリ~ウシュグリ)
・山男日記⑤「光ではなく、影が観たくなる村。」(ウシュグリ)
・山男日記⑥「死の楽園と死にゆく楽園。」(ウシュグリ~ツァナ)
・山男日記⑦「ジョージアで一番閉鎖的な村の、オアシス。」(ツァナ~メレ)
・山男日記⑧「良い旅のつくり方。」(メレ~パナガ)
・山男日記⑨「世界一美味しい、クブダリ。」(パナガ~レンテヒ)
・山男日記⑩「あの山の向こうを、確かに歩いていた。」(レンテヒ~ツァゲリ)
・山男日記(終章)「結局、私たちは何者にもなれない。」
このエリアを実際に旅する人向け。お役立ち情報
この区間のトレッキング情報
ツァナ~メレ間コース詳細
・所要時間:片道4時間
・距離:片道18km
・高低差:▼434m
・難易度:★☆☆☆☆
この区間を歩く際の注意点
明るいうちに到着する&野宿は厳禁
クヴェモ・スヴァネティ地方奥部の山林には、熊が多く生息していると言われています。
昼間は姿を現すことはなく危険はないそうですが、暗くなってからの山歩きは危険。
また、ツァナ~メレの区間は極端に人口が少ないエリアなので、野生動物の王国であると言えます。
キャンプ等、屋外で夜を明かす行為は絶対にやめましょう。
現金は十分に用意しておく
この区間のみならず、ゼモ・スヴァネティ地方(メスティアやウシュグリがあるエリア)~クヴェモ・スヴァネティ地方に共通する注意点なのですが、ATMの数にものすごく限りがある点に要注意。
それぞれの地方で最寄りのATMがある町は以下の通り。
・ゼモ・スヴァネティ地方:メスティア(TBC Bank / Bank of Georgia / Liberty Bank / Credo Bank etc…)
・クヴェモ・スヴァネティ地方:レンテヒ(Liberty bank)
この二つの町以外には、銀行はおろかATMは一台もありません。
また、クレジットカードの通用度はほぼ絶望的なので、現金がなければ詰みます。
スヴァネティ地方を観光する場合は、必要な現金をあらかじめ計算し、余裕を持って下ろしておくのが絶対です。
ぼったくり商店に注意
記事内でも触れたメレ村唯一の商店(Guesthouse Lailaという、のぶよが宿泊した宿ではないもう一軒のゲストハウスに併設されている)は、完全なるぼったくり価格の商店です。
メレ村から最も近いまともな商店は、7kmほど東にあるササシ(Sasashi)という集落の中心部にあるお店。
メレ村からツァナ方面はいっさい商店の類は存在せず、ザガリ峠を越えた先のウシュグリに二軒の商店があるだけです。(ウシュグリの商店はぼったくり価格ではないですが、山価格なので普通よりも高め)
のぶよ的に、あんなぼったくり商店(しかもふてこい)にお金を落としてほしくないので、ぜひとも必要な食料や日用品は大きな町で購入しておくようにしましょう。
徒歩以外のアクセス情報
記事内では、実際に徒歩で歩いたようすをレポートしていますが、この区間は他の移動手段を利用することも可能です。
クタイシ~レンテヒ~メレ
ジョージア他都市からメレ村へ直接アクセスしたい場合は、クタイシかレンテヒ(Lentekhi)のいずれかの町が拠点となります。
クタイシの中央バスステーションから1日1本、レンテヒ経由メレ(Mele)行きのミニバスが出ています。(クタイシ発15:00 / 20GEL)
メレ発レンテヒ経由クタイシ行きのミニバスは、毎日朝7:00~8:00頃にメレ村を出発するそうです。(乗客の集まり具合で変動)
メレ村の宿情報
【Guesthouse Rati】
・料金:夕食付50GEL / 夕・朝食付70GEL
・部屋タイプ:トリプルルーム
・山男日記(序章)「スヴァネティの山に呼ばれて。」
・山男日記①「スヴァネティの真髄に酔う一日。」(メスティア~チュヴァビアニ)
・山男日記②「中世の村を目指して。」(チュヴァビアニ~アディシ)
・山男日記③「最高の一日に、最高の絶景を。」(アディシ~イプラリ)
・山男日記④「山の神に捧ぐ歌」(イプラリ~ウシュグリ)
・山男日記⑤「光ではなく、影が観たくなる村。」(ウシュグリ)
・山男日記⑥「死の楽園と死にゆく楽園。」(ウシュグリ~ツァナ)
・山男日記⑦「ジョージアで一番閉鎖的な村の、オアシス。」(ツァナ~メレ)
・山男日記⑧「良い旅のつくり方。」(メレ~パナガ)
・山男日記⑨「世界一美味しい、クブダリ。」(パナガ~レンテヒ)
・山男日記⑩「あの山の向こうを、確かに歩いていた。」(レンテヒ~ツァゲリ)
・山男日記(終章)「結局、私たちは何者にもなれない。」
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