結局、レンテヒには二泊することになった。
ここまで歩き続けて疲れていたから、少しのんびりと過ごす時間が必要だと思った。
なによりも、レンテヒで滞在した宿の居心地がとても良かった。
レンテヒの小さな町を一望する小綺麗なテラス。びっくりするほどの量と質の朝ごはん。のんびりしたくなる温かな雰囲気。
山歩きの休息を兼ねて、ゆっくりと過ごすにはこれ以上ない場所だった。
宿が素晴らしいと、その町自体もなんだか良い町に思えてくる。
到着した夕方はそれこそ土砂降りで、陰鬱とした世紀末な雰囲気しか感じられなかったのが、今は夢のようだ。
ある町の良いところを発見すると、なんだか嬉しくなる。嬉しくなると、さらに居心地が良く感じられて、離れることが億劫になる。
でも、もう行かなければならない。
この町がゴールではないから。
レンテヒは、クヴェモ・スヴァネティ地方で最後の町だ。
ここから山あいの幹線道路を下っていくと、ツァゲリという町に至る。
そこはもう、これまで一ヶ月ほど滞在していたスヴァネティ地域ではない。ラチャ=レチュフミ地方という完全なる別の地域・文化圏となる。
もともと、このツァゲリという町を今回のゴール地点に決めていた。
特別な理由があったわけではないし、ツァゲリがどんな町なのか何ひとつとして知らない。
「スヴァネティ地方の山を歩く」ことが一番の目的だったわけで、どうせならスヴァネティ地方をこの足で後にし、別の地域にこの足で踏み入りたかった。
それこそが、「コーカサスの山々に抱かれた土地から下界へと下りる」ことだと、思っていたから。
レンテヒからツァゲリまでは、ミニバスが運行されている。
乗ってしまえば小一時間の道のりだ。こんな楽なことはないだろう。
正直、少し迷う気持ちもあった。
「スヴァネティ地域最後の町を目指して歩く」ことを名目にすれば、レンテヒがゴールであってもおかしくない。ツァゲリまでは車で簡単に移動してしまうこともできる。
しかし、やはり一度決めたことにはこだわりたい性だ。
目と鼻の先の町へ、たかが20km少々の道のりを楽して移動してしまうのは簡単ではあるが、後になって「あの時やっぱり歩けば良かった…」なんて思うのが関の山だ。
そんなこと、始める前から解っている。自分が自分の最大の理解者なのだから。
もう旅に出て三年半にもなると、達成感や純粋な感動とは、とんと疎遠になってしまう。
昔抱いた、心が震えるほどの感情を、あの感動を、何かを成し遂げた充足感を、もう一度味わいたいと思ったから、そもそもスヴァネティ地方を徒歩で旅しようなんて突拍子もないことを始めたわけだ。
ここで楽をして、自分を騙したところで、あの達成感は得られないに決まっている。それじゃあ、ここまで苦労して歩いてきた意味がない。
だから、やっぱり、最後まで歩くことにした。
荷造りをし、居心地の良かった宿に、温かな家族に、別れを告げる。
「また来年、今度は夏においで」と言ってくれる奥さん。
社交辞令ではなく、「また夏に来たいな」なんて思ったから、笑顔で頷く。
最後に見やるレンテヒの町は、昨日と変わらぬ静けさに包まれていた。
何か特筆すべき見どころがあるわけでもない、小さな田舎町。
また来たいと思う気持ちと、もう二度とこの風景は見られないだろうという予感が入り混じった、不思議な感覚になる。
どっちつかずの気持ちを振り切るように、歩きはじめる。
今日歩く道のり自体は、何の変哲もない幹線道路だ。
トレッキングの面白味には欠けるし、普通はわざわざ歩こうなんて思わないような、よくある田舎道。
昨日までの道のりに比べると交通量は格段に増え、わざわざ停車して「乗っていけ」と手で合図してくれる車も少なくない。
とても嬉しい。しかし、このつまらない道を自分の足で歩きたいのだ。そう決めたのだから。
三、四台の車による「自動ヒッチハイク」の提案を断りながら、歩き続けること二時間ほど。
川辺にミネラルウォーターが湧く場所で、休憩をとることにした。
ジョージアという国には、至る所にミネラルウォーターが湧く場所が存在する。
鉄などのミネラルを多く含んだ微炭酸の水は、「万病に効く」なんて言われ、重宝されている。
この場所にも大きなペットボトルを数個、車に積んだ人が入れ替わり立ち替わりやって来ては、山の恵みを自分たちの生活へと持ち帰っていく。
すべて飲用とするのだろうか。それとも、洗顔なんかに使うのだろうか。
ちろちろと湧き出す水を口に含んでみる。
独特の苦みと炭酸が、乾いた喉に心地良い。細胞の一つ一つにまで、山の恵みが染み渡っていくような気がした。
残りの道のりは、あと12kmほど。思っていたよりも早く到着できるかもしれない。
ミネラルウォーターの力のせいなのか、歩く活力が漲ってくるのを感じる。
名前も知らぬ小さな集落を通り過ぎながら、立ち止まることなく歩く。
そうして到着したのが、ナゴマリという小さな集落だった。
どうしてナゴマリの存在を知っていたかというと、今朝レンテヒを出発した際に「ナゴマリという村がクヴェモ・スヴァネティ地方で最後の村だ」と、宿のオーナー夫妻が話していたからだ。
地図を見ると、ナゴマリの3kmほど先には目的地のツァゲリの町が位置している。
ツァゲリはクヴェモ・スヴァネティ地方には属さず、レチュフミ地方という別の地域となる。
ここナゴマリは、下界から登ってくる人間にとってはスヴァネティ地方で最初の村。
そして、深い山々を延々と下ってきた人間にとっては、最後の村となるわけだ。
十数軒の民家があるだけの小さな集落。
その中心には、民家の傍らで営業しているらしき食堂があった。
中からはなにやら楽しそうに談笑する声が聞こえる。営業中のようだ。
ちょうどお腹も空いていることだし、クヴェモ・スヴァネティ地方最後の食事をとることにした。
門を開くと、エプロンをつけたおばさんが笑顔で出迎えてくれる。
調理場らしき建物の扉は開かれており、大鍋に入ったスープから漂う香りが、なんとも食欲を刺激する。
メニューは特になく、自宅で作ったものを適当に提供するスタイルのようだ。
何が用意できるのか尋ねると、定番のジョージア料理数種類の他に、クブダリも出せるという。
クヴェモ・スヴァネティ地方最後の村で、ここの郷土料理が食べられる。願ってもないことだった。
待つこと十分ほどでやって来たクブダリは、この地域で定番の三日月の形。パンのようにふっくらした食感の生地だった。
四つに切り分けられたクブダリはどっしりと重たく、中にはこれでもかと言わんばかりに大量の牛肉がゴロゴロと入っていた。なんとも美味しそうだ。
見た目からしてすでに美味しいことは明白だったが、一口かじったときの感動も相変わらずだった。
行き場をなくして皿に零れ落ちる肉汁。とろけるほどに柔らかな牛肉。ピリッとした辛さを舌先に感じる絶妙な味付け。
本当に美味しい。
完全に、クヴェモ・スヴァネティ地方のクブダリの味だ。
こんな最果ての、あと500mで別の地域という境界の村にまで、スヴァネティの食文化が変わらずに根付いていることに、強い感動を覚える。
クブダリの美味しさに感動していると、隣の席で昼間から盃を交わす四人組のおじさんたちが、何やら声を合わせて歌い出す。
スヴァネティ地方伝統の混声合唱だった。
乾杯の音頭こそ、長々とありとあらゆるものに(身内、自然、健康などとにかく何にでも)感謝を述べる習慣があるジョージアだが、乾杯の前に全員で歌う文化は珍しい。
いっぽう、ここスヴァネティ地方の小さな村では、古い慣習が現在にまで残っている。
数十秒から数分に及ぶ合唱ののちに、全員でグラスを鳴らし、その中身を一気に喉に流し込むのだ。
乾杯の前に混声合唱を歌う酔っぱらいのおっさんたち。ジョージア文化圏との境界までたった500mしかない村なのに、完全にスヴァネティ地方の文化圏。伝統がちゃんと息づいていることに感動した。スヴァネティ、すごいわ。
— 小山のぶよ🇵🇹世界半周中の翻訳してる人 (@nobuyo5696) October 13, 2022
※このあと問答無用で謎蒸留酒飲まされるお決まりの流れに pic.twitter.com/e9jhjvP6SJ
素性の知れない外国人が目を丸くして眺めていることなどお構いなしとばかりに、四人組は歌っては酒を飲む。しばしの談笑のあと、再び歌がはじまる。
なんと美しい文化なのだろう。
やや音程がずれて聞こえるのは、きっとすでにかなりの酒が入っているからなのかもしれない。それすらもまた、人間臭くて味がある。
永遠に続く合唱と乾杯の輪廻に耳を澄ませながら煙草を吸っていると、食堂を経営する家族の長らしき男性が、何やら手招きをしてくる。
「ちょうど、庭で収穫した葡萄を用いた蒸留酒ができたのだ。」男性は柔らかな表情を浮かべ、流暢なロシア語で語る。
はじめは葡萄の蒸留酒「チャチャ」かと思ったが、どうやらそうではなく、「ラヒ」と呼ばれるスヴァネティ地方伝統の蒸留酒だという。
ジョージア全国的で一般的なチャチャは、蒸留プロセスを二回以上繰り返すことでアルコール度数を60%台以上に高める。
いっぽう、スヴァネティ地方のラヒの蒸留は一回だけ。
そのため、アルコール度数は40%台とやや低めで、ほのかに葡萄の香りや風味が残った味わいが特徴的なのだという。
説明するより飲んだ方が早い、とばかりにグラスを渡され、出来たてのラヒが並々と注がれる。
蒸留酒の味にはとんと疎いのだが、「出来たて」という言葉の魔法のせいなのか、なんだか風味豊かに感じられるのが不思議だ。
いつの間にか先ほどの酔っ払い四人組も庭に出てきて、新酒試飲会を名目とした飲み会が始まる。
「一杯だけなら」なんて思っていた数分前の自分が馬鹿らしく思えるほどに、飲み干しては注がれる出来たてのラヒ。
ゴールまであと3kmほどだ。ええい、飲んでしまえ。
先ほどよりも大音量で合唱する男たちに促されるように、注がれた新酒をあおる。
気づけばもう、一時間以上もこの食堂に滞在していた。
時刻はすでに夕方の五時前。そろそろ行かなければ。
あと3kmでツァゲリに到着するとはいえ、今夜泊まる場所の見当さえついていないのだから。
これも飲め、あれも食え!とばかりに商売っ気ゼロの食堂の家族と、相変わらず歌っては飲み続ける四人組に礼と別れを告げ、再び歩きはじめる。
蒸留酒を数杯飲んだ後だからか、バックパックがずっしりと肩に食い込むように感じる。
しかし気分は、驚くほどに清々しかった。
食堂を出て5分もしないうちに、ナゴマリ村のはずれに到着した。
ナゴマリ村とツァゲリの町を隔てる境界ということは、クヴェモ・スヴァネティ地方とレチュフミ地方の境界であることを意味する。
人間が引いた境界線であることには違いない。
しかし、独自のスヴァネティ文化が息づく地方と、ジョージアの一般的な文化圏である地方の境界線は、なんだか特別な気もする。
今まで歩いてきた道を満足のゆくまで眺め、「じゃあな。」と小さく呟き、境界を越える。
ここはもう、レチュフミ地方だ。
初めて足を踏み入れる地域への期待と、スヴァネティ文化圏を後にしたことへの寂しさとが入り混じった、不思議な感覚になった。
どうにも名残惜しくて、数十秒に一回は後ろを振り返ってしまう。
先ほどまで歩いてきたクヴェモ・スヴァネティの山々は、もう夕方の淡い色に染まり、すでに影に覆われつつある低い山も多い。
あの山々を越えて、ここまで歩いて来たんだ。
そしてもうすぐ、あとほんの少しの距離と時間で、この旅は終わる。
クヴェモ・スヴァネティの山々への名残惜しい気持ちを振り払うかのように、前を向き直して、ひたすらに歩く。
目の前には巨大な岩山がどっしりと聳え、まるで門のようだ。いや、「天然の関所」の方が近いかもしれない。
切り立った岩と岩の間を、一気に幅を狭めた川が流れている。
まるで、関所の向こう側に広がる世界に吸い込まれていくかのように。
なんとも奇妙で、圧巻の風景ではないか。
「この関所の向こうは、もうスヴァネティではなく別の地域だ」と、大自然が主張しているようにも思える。
道路が通される以前からずっと、この岩山こそが下界と山、二つの相反する地域を隔ててきたのだろう。
ここを通る人間は、天然の関所を越えて別の地域へと足を踏み入れることを、否が応にも実感させられたのではないだろうか。
この岩山のすぐ向こう側にあるのが、ツァゲリの町だ。
関所を越え、ツァゲリの町に足を踏み入れる。
川沿いにひらけた小さな町は、周囲を緑の山々に囲まれている。
その地形のせいか、どことなく開放的な空気が漂っているようにも思える。
ツァゲリは人口三千人ほどで決して大きな町ではないが、いちおうレチュフミ地方の中心的な町として機能しているらしい。
その中心部は、これまで散々見てきた小さな村々とは比べ物にならないほどに、大きな規模だった。
何より、ツァゲリには生活に必要な施設がひと通り揃っている。
レチュフミ地方の小さな村とを結ぶミニバスが発着するバスステーション。銀行の支店。警察署。食堂…そして、チェーンのコンビニまである。
久しぶりにその存在を思い出したコンビニ。
生鮮食品も、お菓子も、煙草も、アルコールも…ありとあらゆるものが大都市と変わらぬ低価格で売られている。
すべて値段が明記されており、村の個人商店のようにいちいち店の人に価格を尋ねたり、ぼったくられる心配も一切ない。
なんと便利で、安心できるのだろうか。
たった数週間前までは身近にあるのが当たり前だったものに、感動と感謝の気持ちを改めて抱く。
コンビニの内部探索をひとまず終え(買い物より先に、宿を見つけて荷物を置かなければいけないことに気が付いた)、マップアプリを開いて今夜の宿を探そうとしたとき。
目の前にいたおじさんが「ガスティニツァ?」(ロシア語で「ホテル」)と声をかけてきた。
基本的にこうした客引きの話には耳を傾けずに旅する主義なのだが、今は宿の見当すら皆目ついていない。
駄目で元々。いちおう値段を尋ねてみると、想像以上に安い。
なんとも気さくで人の良さそうなおじさんは、「すぐ近くだから」と言い、迷いが顔に出ている様子の旅行者を先導する。
ジョージア人の「すぐ近く」ほどに信用ならないものはないのだけれど、おじさんの「すぐ近く」に偽りはなかった。コンビニから徒歩十秒もない場所の二階に、おじさんのホテルは位置していた。
なんとも小綺麗で、居心地の良い部屋だ。
テラスやキッチンもあり、自由に使って良いのだという。
時刻はすでに六時をまわっており、外はだんだんと夕闇に支配されつつある。
ここよりも安くて良い宿など、きっと見つからないだろう。
即決だった。
荷物を下ろし、さっとシャワーを済ませ、濡れた髪もそのままに徒歩十秒のコンビニでお菓子やらピーナッツやら、欲しいものをたんまりと買いこむ。
ビールは、ちょうど安売りされていた3リットルの特大サイズにしてしまった。
ここまでずっと我慢してきたのだ。今日くらいは誰にも文句を言われる筋合いなどないだろう。
宿のテラスからの景色には、すでに夜の帳が下りかかっていた。
なのに、昨日までのこの時間ならいつも感じていた、体を芯から冷やすような山特有の冷気は、もうない。
湿度が高いためか、ほんの少しだけ肌寒さは感じる。
それでも、十月も半ばとは到底信じられないような、夏の終わりの夜のもわっとした空気が、ここにはある。
浴びるほどの量があるビールを買ったのは、すごく久しぶりだ。
この快適な気候の中で、わざわざグラスに注いでちまちま飲むのも馬鹿馬鹿しく思えて、ボトルから直接あおることにした。
宿のテラスからは、下界を絵に描いたようなツァゲリの町と天然の関所、切り立った二つの岩山の濃い影がくっきりと見える。
夕闇の薄暗さの中でさえ、関所は視線の先に堂々と立ちはだかっていて、その奥にあるはずのスヴァネティの山々への視界を遮る。
あの美しい三角形の頂を持つ山も、頂上にだけ雪が積もって溶けかけのアイスのように見えたあの山も、マーブルチョコレートのような色とりどりの紅葉に覆われたあの山も…
昨日までは見飽きるほどにいつでも、すぐそばにあった山々が、今はもう見えない。
そうか。もうスヴァネティ地方の山歩きは終わったのか。
このときはじめて、ひとつの長い旅を終えたことを意識したのかもしれない。
そしてこのときはじめて、そこはかとない達成感や、信念を貫いたことへの満足感や、自分の体力への自信が、心の底に湧き上がるのを感じた。
それと同時に、辛くてたまらなかった上り坂や、山肌を滑らかに彩る紅葉や、中世に迷い込んだかのような村での日常や、道中で出会った人々との何気ない会話や、疲れ切った体に染み渡るような温かい食事や、この数週間で経験したありとあらゆる出来事が、断片的に、順序さえ滅茶苦茶に、目にも止まらぬ速さで次から次へと脳裏に蘇ってきた。
すべて、自分の目で、心で、耳で、鼻で、舌で、心で感じたものだ。
そして、すべての経験ができたのは、この足で一歩一歩、その土地を踏みしめてきたおかげだ。
なんとも形容しがたい、晴れ晴れとした幸福感に包まれる。すごいことを成し遂げたのだ。人間、やろうと思えばできないことなんて一つもない。
でもちょっと、なんだか自画自賛が過ぎるような気がして、照れ隠しするかのように、すでに半分近くの量に減ったビールをグイッとあおった。
・山男日記(序章)「スヴァネティの山に呼ばれて。」
・山男日記①「スヴァネティの真髄に酔う一日。」(メスティア~チュヴァビアニ)
・山男日記②「中世の村を目指して。」(チュヴァビアニ~アディシ)
・山男日記③「最高の一日に、最高の絶景を。」(アディシ~イプラリ)
・山男日記④「山の神に捧ぐ歌」(イプラリ~ウシュグリ)
・山男日記⑤「光ではなく、影が観たくなる村。」(ウシュグリ)
・山男日記⑥「死の楽園と死にゆく楽園。」(ウシュグリ~ツァナ)
・山男日記⑦「ジョージアで一番閉鎖的な村の、オアシス。」(ツァナ~メレ)
・山男日記⑧「良い旅のつくり方。」(メレ~パナガ)
・山男日記⑨「世界一美味しい、クブダリ。」(パナガ~レンテヒ)
・山男日記⑩「あの山の向こうを、確かに歩いていた。」(レンテヒ~ツァゲリ)
・山男日記(終章)「結局、私たちは何者にもなれない。」
このエリアを実際に旅する人向け。お役立ち情報
この区間のトレッキング情報
レンテヒ~ツァゲリ間コース詳細
・所要時間:片道5時間
・距離:片道21km
・高低差:▼281m
・難易度:★☆☆☆☆
徒歩以外のアクセス情報
記事内では、実際に歩いたようすをレポートしていますが、この区間は他の移動手段を利用することも可能です。
クタイシ~ツァゲリ~レンテヒ
ツァゲリへの公共交通手段でのアクセスは、クタイシ発着がメインとなります。
クタイシの中央バスステーションから1日1本(14:30頃)、ツァゲリ&レンテヒ経由メレ(Mele)行きのミニバスが出ています。
レンテヒ→クタイシ方面のミニバスはレンテヒが始発ではなく、さらに奥にあるメレ村が始発のもの。
毎日朝7:00~8:00頃にメレを出発し、レンテヒに到着&出発するのは9:00とのことです。
ツァゲリのバスステーションは、中心街東端の広場のような場所にあります。
ツァゲリの宿情報
【Hotel New Oda】
・料金:30GEL
・部屋タイプ:ツインルーム(シャワー/トイレ付)
【ツァゲリの宿をチェックする!】
・山男日記(序章)「スヴァネティの山に呼ばれて。」
・山男日記①「スヴァネティの真髄に酔う一日。」(メスティア~チュヴァビアニ)
・山男日記②「中世の村を目指して。」(チュヴァビアニ~アディシ)
・山男日記③「最高の一日に、最高の絶景を。」(アディシ~イプラリ)
・山男日記④「山の神に捧ぐ歌」(イプラリ~ウシュグリ)
・山男日記⑤「光ではなく、影が観たくなる村。」(ウシュグリ)
・山男日記⑥「死の楽園と死にゆく楽園。」(ウシュグリ~ツァナ)
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・山男日記⑩「あの山の向こうを、確かに歩いていた。」(レンテヒ~ツァゲリ)
・山男日記(終章)「結局、私たちは何者にもなれない。」
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