こんにちは!海外在住7年目、現在は世界半周中ののぶよ(@nobuyo5696)です。
(世界半周についてはこちらの記事へどうぞ。)
現在東アジアを中心に猛威を振るう、新型コロナウイルス。
中国の武漢が発生源とされ、中国本土はもちろん、日本や韓国、東南アジアの国々や遠くヨーロッパの国々まで爆発的な広がりを見せています。
日本での状況を直接目にしていないので断言はできないのですが、国内でも感染者が次々に現れ、次第にパンデミックの様相となってきているのではないでしょうか。
日本国内のメディアでは、中国や国内での感染者情報などの報道が中心かと思いますが、遠く離れた欧米でもそれは同じこと。
日々増え続けるコロナウイルスの感染者情報は、多くの国でトップニュースとして扱われ、人々の関心もとても高いです。
そんな中、病気とは別の恐怖を叫ぶ声が、海外(特に欧米圏)在住の日本人から聞こえてきます。
それは、「コロナウイルスによって、日本人が(アジア人が)差別・偏見の対象となっている」というもの。
日本ではあまり意識されることが少ない、海外での日本人への差別。
人権や平等が叫ばれて久しい2020年の世界で、いったい何が起こっているのでしょうか。
ヨーロッパを中心に広がるのは、コロナよりもアジア人差別
海外在住であり旅の最中であるのぶよの場合は、Twitterでのつながりに、同じように海外在住の人や旅をしている人たちが多いです。
特に、ヨーロッパ方面に滞在している日本人たちからは、目を疑うような体験談が毎日のように投稿されています。
・電車内で「コロナ!」と指をさされて叫ばれた(イタリア)
・「コロナは出ていけ!」とバス車内で言われ、バスを降りる羽目になった(イギリス)
・商店でアジア人であることを理由に商品の購入を断られた(フランス)
(ツイートを引用していいのかわからなかったので、文字に起こしています)
などなど。
こんなのほんの一部でしかありません。
書いているだけでも腹が立ってくるこのような差別行為の数々に対して、
「見た目では中国人と日本人の区別がつかないから、中国人だと思われて差別された」
と考える人が日本人の中にはどれほどいるのでしょうか。
(あまりいないことを願います)
残念なことに、その発想は完全に間違っています。
こうした被害を受けた人たちは、コロナウイルスが広がる中国の人と間違われて差別されているわけではありません。
アジア人だから差別されているのです。
「日本人だから差別されない」というトンデモ理論
もはや都市伝説だと思っていたのですが、日本ではいまだに「日本は技術大国で伝統文化や食文化も豊かで、世界の人から愛されている」というトンデモすぎる理論がコロナウイルスよりも深刻に蔓延っているよう。
だいたいは海外になど出ないある程度の年代の人がそう信じてやまなそうに思えるのですが、実際にはそんなこともないようです。
コロナウイルスの感染者がまだ中国本土のみに限られていた時期に、日本の同年代の友人と電話をする機会がありました。
その中で、今海外でコロナによるアジア人差別が広がっているという話題になった時。
「え?でも日本人は差別されないでしょ?中国人とは違って」
という一言をもらいました。
いったいどういう過程でそういった考えに至るのか見当もつきませんが、これだけは言えます。
確かに「日本人」という国籍によって差別されることは、あまり多くないかもしれません。
しかし、「アジア人」という人種によって差別されることはかなり多いのです。
日本人だろうと中国人であろうと台湾人であろうと、差別してくる人にとっては無関係。
アジア人という人種が、彼らの唯一の差別基準となっているのです。
線引きが難しい、「病気からの自己防衛」と「差別」
先述の差別的言動・行為は、子供のみならず、教育を受けてまともな社会生活を送っているはずの大人から発せられたというのも驚くべき点です。
国や地域にもよるものの、一般的に人権意識が高い(とされている)欧米諸国。
もちろん全ての人が差別主義者ではないということはできません。
リベラルで有名な北欧にだって、多くの移民をかかえるフランスにだって、必ず他民族や外国人に対して差別的思想を持っている人は存在します。
こうした、「明らかに差別である言動や行為」に対峙する機会は、(通常の)ヨーロッパではそこまで多くありません。
異文化や人種・宗教の違いに理解がある人が多く、それこそが欧米における自由主義の根底を成すものであるためです。
しかしながら、連日のように報じられるコロナウイルスの蔓延、感染者拡大に関するニュースなどが、人々の間に未知の病に対する恐怖心を植え付けているのは事実。
この「病気に対する恐怖心」が、「(感染が広がっている国から来たであろう)アジア人に対する恐怖心」に変容することはとても簡単ですし、理解もできます。
そりゃあ誰だって自分が可愛いですから。
普段は人権やなんや言っていても、結局自分に被害が及ぶ可能性があるものは誰だってできる限り排除したいと思うはずです。
「アジア系=コロナウイルスが広がっている国の人=ウイルスにかかっている可能性が高い=怖い」
という方程式を頭の中で思い描くのは、人間なら当然のこと。
したがって、政府が感染者が多い国からの入国を制限したり、旅行者が感染者が多い国への渡航を控えようと考えることは差別ではなく、自己防衛の一つです。
電車内でマスクをせずに咳をし続ける人と隣り合わせたら、自分の口を塞いだり、車両を変えたりするようなもの。
しかしながら、すでに紹介した欧米で起こっている「コロナ差別」は、明らかに差別です。
なぜなら、その人の見た目(や人種)だけで「病気にかかっている」と決めつけた上で、その差別意識を行動や言動に移しているからです。
問題は、どこまでが自己防衛の範囲内でどこからが差別となるのかという点。
のぶよがツイッターで見たいくつかのケースについて考えてみましょう。
海外で路線バスに乗った時、ある乗客が自分を見て服の袖で口元を覆った
地下鉄で座席が空いたので座ったら、隣の人が立ち上がって車両を移動した
現地の友人に寿司を食べに行こうと誘ったら、コロナが怖いから寿司は食べたくないと言われた
職場のミーティングで、現地人の同僚に握手を拒まれた
いかがでしょう。
これらは自己防衛なのか、差別なのか。
このように、ウイルスという「人間だれしもが恐れるもの」が「特手の地域・人種」などと結びついた場合、どこからが差別なのか線引きをするのがとても難しくなります。
でもみなさん、正直思いませんか?
「いや、普通に差別でしょこれ」と。
(のぶよは思います)
しかしながら、バスで口を覆った乗客も握手を拒んだ職場の同僚も、きっとこう主張するでしょう。
「自分が病気にかからないための自己防衛による行為で差別しているつもりはない」
「直接相手に差別的なことを言ったりしたわけではない」
と。
これこそが、差別問題の本質だと思います。
受け取る側(される側)が「差別されている」と感じたら、それはもう立派な差別。
セクハラ、パワハラなどと同じ理論で、行っている方は「コミュニケーションの一環で」とか「昔からの伝統で」とか主張しますが、受け取る側が嫌な思いをしている=アウトなわけです。
コロナウイルスがもたらした、アジア人に対する差別意識の表面化
というわけで、新型コロナウイルスに起因したアジア人差別は、なかなか一筋縄ではいかない複合的な問題となりつつあります。
のぶよの印象では、
「アジア人を見てコロナウイルスと結びつけるのは差別だ」と分かっていながらも、「万が一にも自分がウイルスにかかるのは嫌だ」と感じ、ジレンマに陥っている人の割合が、ヨーロッパ(特に西側)ではかなり多いのではないかと思います。
コロナウイルスの流行は、いつかは収束するでしょう。
(そう願います)
しかし、それがもたらした「風評被害」とも言えるアジア人差別は、すぐに収束することはないのではないかと考えます。
今回の一連のコロナ騒動(正しい表現ではありませんが、そう呼びます)は、私たちに与えられた医学的・社会的な試練なのかもしれません。
歴史をたどっていけば、植民地支配という名の差別極まりない行為だったり、宗教や民族の違いによる虐殺や戦争だったりを繰り返してきた人類。
「人権」や「平等」の理念が定着してから、まだ数十年しか経っていないのです。
本当は自分たちが一番で、自分とは異なる他の民族や宗教・文化を積極的に認めようとはしないのが人間。
「人権先進国」なんて言われるヨーロッパの国々であろうと、ただ「リベラル」というマスク(仮面)をかぶっているに過ぎない人はかなり多いでしょう。
まだ定着し(たように見え)て間もない「人権」や「平等」を掲げたマスク(仮面)は、誰もが恐れるコロナウイルスによって剝がれ落ち、その下に顕在していた差別意識が表面化してきている。
それが、今現在世界で起こりつつあることなのかもしれません。
「リベラルのマスクする前に、普通のマスクして予防しろ!」というのはのぶよの個人的な意見です(笑)
欧米諸国で深刻な社会問題とされてきた黒人差別やユダヤ人差別に比べると、アジア人差別というのは比較的歴史が浅く、あまり注目もされてこなかった問題です。
そのため、いまだに被差別者の声が大きく伝えられていないような印象を受けます。
私たちができることは、まず現状を知り、声を上げていくことです。
「日本は世界の人々から愛されている」という昭和的なトンデモ幻想、そろそろ捨てる時なのでは。
もし海外でアジア人差別にあってしまったら..?
のぶよは常に言っているのですが、差別にあった際に絶対にしてはいけないのは、何もしないことです。
感情を表に出すのが下手
意見を相手にうまく伝えられない
などと言われる私たち日本人ですが、それでは状況はいつまで経っても変わっていきません。
では、コロナウイルスの件に限らず、海外で差別的な言動や行為に遭ってしまったら、いったいどうすればいいのでしょうか。
とにかく怒る&行動に出る
まずは怒りましょう。
現地の言葉で抗議できればあっぱれですし、そうでなければ日本語ででもいいと思います。
男性の場合なら腕っぷしを見せるのもアリだと思いますし、女性なら唐辛子スプレーで威嚇なんていかがでしょうか(笑)
とにかく、痛い目を見せてやりましょう。
それで警察沙汰にでもなって、さらに痛い目を見せてやったらいいんです。
一番してはいけないのが、曖昧に微笑んでその場を後にすること。
差別してくるような人間の思う壺ですし、もしかしたら自分の次にやってくる日本人(やアジア人)がターゲットにされてしまうかも。
のぶよはもしコロナ差別に自分が遭ったら、咳をしまくって吹きかけてやろうと決めています。
絶対に見逃しませんし、許しません。
海外七年目ともなると、肝が据わってくるものです。(笑)
SNSで拡散
とは言っても、言葉の通じない国で毅然として抗議するのもなかなか勇気がいるもの。
そんな時は、その場ではひとまず睨みつけるくらいにしておいて、後でSNS等で自分の身に起こったことを拡散しましょう。
被害にあった時に写真や動画が取れれば、より説得力が生まれると思います。
こうして、より多くの人に、「日本人に対しても差別が存在する」ということを知ってもらうことが第一歩。
そして、より多くの人たちにこの問題に対して意識を持たせ、現状に対する危機感を抱かせることが大切です。
とにかく、皆で声をあげてどうにかしなければ何も変わっていかない問題です。
「~の国は」と一くくりにしない
もしある国で差別に遭ってしまった場合。
もちろん気分は最悪になるでしょうし、その国を嫌いになってしまうことだって考えられます。
ここで大切なのは、「○○の国でこんなことをされたから、○○人は差別的」というカテゴライズに陥らないこと。
差別的行為をしてくる人は、あくまでもその国の一部に過ぎません。
(国によってその割合には開きがあることは否めませんが)
それなのに「○○の国は~」なんて一括りにして否定的に捉えることだって、差別意識につながっていく考え方です。
自分たちは差別しないように心がける
日本のメディアやテレビ番組などに蔓延している「日本スゴイ!病」には飽き飽きしているのぶよですが、日本人は比較的差別意識をあまり表面化させることがない、ある程度ちゃんとした教育を受けた人が多いことには同意します。
しかしながら、結局は人間だれしもが差別意識を持っているもの。
先述した通り、自分では差別と捉えていなくても、受け取る側が差別されていると感じたら立派な差別なのです。
ツイッターに流れてきた投稿で、
アメリカ(?)の地下鉄で「コロナ!」と言われる→“I’m not Chinese!”と反論する
というものがありました。
この方、英雄のように崇められていましたが、これだって立派な差別意識の表れです。
「中国人=コロナ」と言っているようなものですから、スマートな返しだとは到底思えません。
他にも、
「電車内で中国人がいた~もう外出したくないわ」
「中華街で食事とか無理!移りそうじゃん!」
心の中で思うのは勝手です。というか、仕方ないのです。
先述の通り、誰だって「自己防衛」したいのですから。
しかしながら、それを言語化して発信することや、相手に対して直接伝えることは差別以外の何物でもありません。
ましてや、船内でウイルス感染者が続出したクルーズ船の乗客や、その身の回りの世話に従事した関係者に関する個人情報の開示を要求したり、病原菌扱いするというトンデモな行動に出る人たちも言語道断。
このような非常時にその人の本質がわかると言われますが、まさにその通りだと思います。
まとめ:コロナ差別が広がる今、日本人ができること
新型コロナウイルスによって表面化しつつある、主に欧米におけるアジア人差別について考えてきました。
個人的には、コロナウイルスという「免罪符」によって曖昧にされてはいるものの、世界でのアジア人に対する差別意識や行為はかなり深刻だと思います。
差別をこの世から完全になくすことは不可能でしょう。
一つ意識を変えたところで、次の差別対象を探すのが、私たち人間がこれまでの歴史で繰り返してきたことですから。
しかしながら、人々の意識をできる限り変えていくことはできると思います。
私たち日本人にできることは、「日本人は特別=差別に遭わない」という謎の考えを捨て、他のアジア諸国の人々とともに声を上げていくことなのではないでしょうか。
そのためには、もっと多くの人が世界に出て、私たちが置かれている現実を目の当たりにする必要があると思います。
まずは私たち日本人が、自信の置かれた現状を理解して声を上げ、周辺の国々と声を合わせて改善を訴えていく。
これこそが、コロナ騒動によって表面化しつつあるアジア人差別を是正していくために必要不可欠な流れなのではないでしょうか。
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