我が名は、小山のぶよである。
今をときめく(?)旅行ブロガーに分類される存在であり、界隈では意外と人気があるんだそうな。ふーん、まあ顔面も良いしな。
これまで、わりと気ままに生きてきたけれども、だいたいなんとかなってきた。ちゃんと数えたわけではないけれど、おそらく60ヶ国以上に渡航し、そのうち4ヶ国では長期滞在しながら現地で働く「生活」を営んだ。複数の言語を問題なく操れるし、どちらかと言わずとも適応能力はある方だ。
「なんとかなってきた」と書いたが、「なんとかしてきた」と言った方が正しいのかもしれない。人生、どこにいようが、ある程度のお金とある程度の顔面、そしてある程度のコミュニケーション能力さえあれば、なんとかできてしまうものだ。
……と、「自分にあるもの」ばかりにフォーカスしてきたが、今、小山のぶよには「ないもの」がある。
鼻だ。

今この文章を読んでいるみなさんは、きっとこう思ったことだろう。
「ちょっとこの人何言ってるの???(だいじょぶそ?)」とか、「ああ、華がないってこと?同音異義語ねなるほどなるほど(おもんね)」とか。
麗らかな春の陽気に気が狂ったわけでも、変換ミスでもない。今、この顔面の中央には、本来そこにあるはずの「鼻」という知覚器官が存在しないのだ。より正確に描写するなら、鼻の根元はちゃんとあるが、下半分、いわゆる小鼻や鼻中隔と呼ばれる部分はない。
おそらく多くの人は、ツイッターやブログにおける半月ほどの沈黙の後に、いきなり投稿された「私の顔面には鼻がない」という謎のトピックに全く着いて来られていないと思うので、ここは順を追って話すことにしよう。
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事の始まりは今からおよそ2ヶ月前、2026年の3月頭に遡る。
当時はジョージア西部のバトゥミに滞在しており、冬の数ヶ月間をかけてようやく完成したアルメニアの食文化にフォーカスを当てた力作『アルメニア魅惑のグルメ旅』の発売を終え、それとほぼ同時にまるで燃え尽き症候群のような状態になっていた。
発売から数日間は特に何もせず過ごし、一日の大半をごろごろしながら過ごす毎日。これが意外と楽しいのだ。

そんな怠惰な日々の中で、いつものように高貴な顔面にうっとりしようかと鏡を見たとき、ほんのりとした違和感に気が付いた。鼻の両側が普段よりもぷっくりと膨らんでいるような気がするのだ。
触ってみると微妙な違和感というか、痛みがある。このときは、「血の流れが悪いのだろうか」くらいに考え、明日になれば消えているだろうと少しマッサージするだけでそのまま放置した。
しかしながら、鼻の横のぷっくりは翌日になっても消えず、むしろ前日よりも違和感を増していた。見た目にも腫れているのが分かるほどで、鼻の中からは緑色をした膿が絶えず出てくる。
そしてこの膿が、びっくりするほどに、臭い。
自分でもぎょっとするほどに臭うのだが、それはつまり周りの人にも同様に、そのぎょっとするほどの臭いを感じさせているということでもある。
…これはちょっと、さすがに、やばいのではないか。

ちょうどこの翌日は、バトゥミからトビリシへと移動する予定だったこともあり、ひと冬を過ごしたバトゥミの宿に別れを告げ、東へと向かう。

ジョージアの鉄道というのは、決して広くはないスペースに座席が敷き詰められている。隣に座ったお姉さんや前の席のおじさんに、臭いが届いていないことを願いながら、半日以上かけて移動した。
結局、電車内で隣り合った人たちに何か言われることはなかったけれども、個人的には彼らに臭いは届いていたのではないかと思う。何かはっきりとした「あ、今、臭いと思われてるな」という確証はないのだが、こういうのって人種や国籍が違くてもなんとなく伝わってくるものだ。
それはまさに、人間の本能。私たちの先祖は嗅覚をフルに用いて食べられるものとそうではないものを見極め、危険を察知し、リスクだらけの世界を生き抜いて来たのだ。


そういう意味では、鼻から膿の臭いを漂わせている変なアジア人など、リスクでしかないんだろうなあ…なんて考えていたところで、鉄道がスピードをゆるめる。
澄んでいるとは言えない空気の奥に、見慣れた町並みとムタツミンダ山。ジョージアの首都・トビリシに、数ヶ月ぶりに戻って来た。
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トビリシには、いわゆる「常宿」のような存在の宿がある。「トビリシ滞在中は他の宿には見向きもせずに、とりあえずその宿に滞在する」といった感じで、今回も四日ほど、何も考えずに事前に予約しておいた。
この宿はトビリシの中でもかなり安いのに、立地が良く、窮屈でない点が気に入っている。家族が住む家の一部を旅行者向けに開放しているようなスタイルで、広々とした庭があるのはトビリシど真ん中の宿にしては珍しい。

というわけで、見慣れたトビリシの宿でのんびりしていたのだけど、向かいのベッドを陣取っていたロシア人客が部屋に入るなりこんなことを言う。
「この変な臭い、なに…?」
他にもロシア人宿泊客がいるようで(そもそも今のトビリシの安宿なんてロシアの植民地状態でしかない)、「わかる~確かにちょっと変な臭いするよね」「あの新しく来たアジア人じゃね?」「どうする?本人に尋ねてみる?」と、ロシア語でひそひそと相談し合っている。
あいにく、いきなり登場したアジア人はロシア語が分かるので、「ごめん、たぶん臭いの元ここ。鼻がおかしくて膿が止まらなくて…!」とロシア語で言う。急にロシア語で返され、ばつが悪そうなロシア人宿泊客たちは、「病院行った?」とか「塩水で鼻うがいしてみたら?」と、まあ常識的な返しをしてくるけど、本心は「ああ…臭い奴来て最悪…」だろう。自分が彼らの立場ならそう思うだろうし、なんなら臭いの元となる人間を追い出してしまうかもしれない。


とりあえず、塩水で鼻うがいだけ済ませ、地図アプリで近くのクリニックを探す。あいにくこの日はイースターの連休前最後の平日で、しかもすでに午後六時を回っていたから、一度利用したことがある外国人対応可のクリニック(なかなか親切で腕も悪くない)はすでに閉まっているようだ。
徒歩で行ける範囲で、連休前に夕方以降も空いているクリニックとなると、大都市トビリシであろうとジョージアのローカルクリニックに限られてくる。もちろん英語など通じないので、全てロシア語とジョージア語で済ませなければならない。
しかしまあ他に選択肢もないので、宿から徒歩5分ほどの怪しげなクリニックへと足を運ぶ。
節電のためなのか微妙に薄暗い院内の受付にどっしりと座った、やる気のなさそうな受付のおばさんに症状を説明すると、そのまま直接奥の部屋に通される。奥の部屋には白衣を来たおじさん医師がおり、受付から診察までたったの30秒という超スピード診療だった。
保険についてや診察費についていっさいの説明もないままだったので不安を感じながらも、とりあえずおじさん医師に症状を説明する。鼻の周辺を触った医者は、鼻の中の半ば固まって瘡蓋のような固形になりつつある膿を素手で「ぶちん!」と力技でちぎり(くっそ痛かった)、それを目を細めて眺める。そして何やらロシア語で「これは○×※▲だねえ」と言う。
もちろん知らない単語だったので調べてみると「副鼻腔炎」なる病気だという。日本語ですら知らない病名をロシア語で知っているわけもないのだが、どうやら鼻の穴の奥に四ヶ所ある「副鼻腔」という空間の入口を雑菌などがふさいで膿んでしまう症例らしく、珍しいものではないようだ。
その場で膿を取ったり、薬を処方されるのかと思っていたら、おじさん医師は「とりあえず一日三回、塩水で鼻うがいをするように。じゃあそういうことで。イースターを楽しんで!」と言って去っていった。
「イースターを楽しむためにはこの臭っさい膿を今すぐどうにかしたいのだけど…」と反論する隙もなく消えたおじさん医師。受付へ戻るとすでに請求書ができあがっていて、日本円にして700円もしないくらい(しかも保険など使わずに)だったので「まあいいか」と思いながら、場末のクリニックを後にした(今考えれば、「一日三回のうがい!」のアドバイスのために700円払ったことになり、割高と言えば割高な気もしないでもないけど)。
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クリニックから宿に戻ったは良いが、特に何か特別な施術を受けたわけではない。つまり、何かが改善したわけではない。
相変わらず鼻の奥からは膿が出てきて臭いを放つし、膿が固まった瘡蓋は不快な感触だし、マスクを三枚重ねにしても周りには気を遣うし、「これはもうドミトリーはだめだな」と感じた。
案の定、翌日に同部屋のロシア人たちに臭いがどうだったか尋ねたところ、なんとも申し訳なさそうに「…夜寝てるとき、まあまあすごい臭いがした」と口を揃えて言われた(と同時に、こういう状況においてもこちらから尋ねないと物事をはっきり言いたがらないのってすごくロシア人っぽいなあと思ったし、ロシア人のこういう文化がやっぱり嫌いじゃないなあと思った)。
鼻が詰まって嗅覚が鈍っているのか、もはや臭いに慣れてしまったからなのかは分からないが、自分ではもはや自分の鼻の中の膿の臭いか感じにくくなっていたので、こうもはっきり言ってもらえるのは逆にありがたい。
そう思うと同時に、「個室のある宿へ移動しよう」とその場で決断した。
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宿のお母さんに「予定より早くチェックアウトしたい」と言うと「未泊分の宿泊代を返す」と言う。なんとも正直な商売をする人だなあと感心しながらも、自分の都合で早く去るわけなので、未泊分のお金をもらうなんて、そんなはしたない真似はしたくない。なにより、鼻が治ったらまた来れば良い。
このときはそう思って、「じゃあ次に来たときの宿泊費に回して」と告げた。宿のお母さんも「どうせこの日本人はまたそのうち来るだろう」と思っていたようで快諾してくれ、笑顔で見送ってくれた。
でもごめん、宿のお母さん。結局もう二度と、行くことはなくなっちゃった。のぶよの未泊分の宿代で宿に入り浸るねこなのたちにちょっとお高級なキャットフードでも買ってあげておくれ。

さて。ここからは今夜の宿を探さなければならない。
「ドミトリーではなく個室」「今の宿から歩いて行ける場所」を条件に検索して一番上に出てきた宿をとりあえず5日ほど予約し、歩いて向かう。
なんとも場末感ただよう薄暗い宿は「THE・トビリシの安宿」といった感じ。入口や共用キッチンがある一階と、いくつかの個室がある地下階に分かれている。
受付兼掃除担当として働いているらしきジョージア人のばばあは、この世のネガティブな感情や怨念を全て詰め込んだかのような態度の悪さだった。お釣りは投げるし、部屋のドアはものすごい音を立てて閉めるし、第一印象からして最悪だった。
そしてチェックインの際、このばばあに明らかに「何か臭うわ…」といった表情をされてげんなりする。そうだよ!臭うからわざわざ来たくもない個室の宿に来てんだよ!ばーか!ぶーす!おまえのかあちゃんソーれーん!
とはいえ、臭いの原因は自分にある。もはや対処法も尽きた感があるし、あのおじさん医師が言うように、今は鼻うがいくらいしかできることがない。
言われた通り、鼻うがいでもしようかと洗面所に向かい、鏡を見る。そして、衝撃を受ける。
つい3時間ほど前、起床して歯を磨いている際に鏡を見たときよりも、鼻の下半分が明らかに腫れ上がっているのだ。そして、鼻尖(鼻の頭の尖った部分)がなんだか赤黒く変色している。
鼻の中はどうかというと、右側は白い膿でどろどろの状態。左側は膿が固まって瘡蓋のようなものに塞がれており、もはや空気がほとんど通らない状態。嗅覚もほとんどないし、鼻単体ではほとんど呼吸ができない。言ってしまえば、もはや鼻としての機能を失っていた。
「いやあ…どうしようか…」
明らかにこのまま放置して良い状態ではないけれど、あいにくこの日はイースター前の祝日で病院やクリニックは全て閉まっている。しかし薬局なら開いているかもしれない。
そんなわけで最寄りの薬局まで来たは良いものの、何を買えば良いのか分からない。ちゃんとした薬は処方箋がなければ買えないだろうし、ビタミン剤などはすでにほとんど試した。
「なんか変な臭いするわ…」と、怪訝な表情を隠そうともせずにこちらへ向ける若い女性薬剤師に、とりあえずマスクだけ注文してそそくさと薬局を出る。マスクごときでどれだけ臭いをブロックできるのか疑問だけれど、まあないよりましだろう。
このときは、とにかく「臭いを抑えて周りに迷惑をかけないように」ばかりを考えていて、「臭いの原因である鼻の膿をどうすれば良いか」については後回しになっていた。
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イースターの期間は、本当に、本当に最悪だった。
ジョージアのイースターというものは、金曜日から土日のイースター当日を挟んで翌月曜日まで四日間は続くのだが、この四日間はどこにも行かずに、狭く埃っぽくて膿の悪臭に満ちた個室にひたすら引きこもっていた。
狭い空間では香りも移りやすいようで、どうやらジャケットやTシャツにも鼻からの膿の臭いが染み込んでいるようだ。この「服に染み込んだ臭い」というのは、宿泊客のイラン人の爺さんに指摘されるまで自分では気がつかなかったのだが、どうやら他の宿泊客も感じていたのだと後から聞かされて知った。
…ちょっともう、限界かもしれない。
膿がどうなろうが、嗅覚がなかろうが、鼻が腫れようが、そのあたりのことはまあ別に、正直どうでも良かった。もうすぐイースター休暇も終わることだし、ちゃんとした病院で看てもらえば、ジョージアの低っくい医療レベルを考えても、まあ治らないなんてことはないだろうろう。
一番精神的にダメージが大きかったのは、「目の前の人や通りがかりの人に臭いと思われているのではないか」「今呼吸すると周囲に臭いが伝わってしまうのではないか」といった思考に囚われ、自身の行動の幅が狭まってしまっていたことだ。
自分は、元来気が強いタイプで、どちらかというと傍若無人で、「相手にどう思われようが知ったこっちゃない」といったタイプの人間であるのに、こうも簡単に弱くなってしまうのかと、驚いた。そして、「こんなんじゃだめだ。強くあらねば…!」と思っても、自分ではどうすることもできないのだ。
うつ病や精神的な疾患を「甘え」だとか「本人の意思の問題」とか「やる気が足りない」とか言う人もいるけど(かつては自分も少しそのように思っていたけど)、実際に精神的にやられてみると、本当に、できないものはできない。それは不可抗力みたいなもので、時間が戻らないのと同じで、「ポジティブに考えて行動したいのに、自分ではどうしようもない」のだ。
そして、ふと思った。「このままここに居ても、仕方がないのではないか」と。
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予定では、ジョージアに5月半ばまで滞在し、隣国のアゼルバイジャンへ渡航するつもりでいた。アゼルバイジャンに1ヶ月滞在した後は、フェリーでカスピ海を渡ってカザフスタンへ…夏は中央アジアの大地を東へと向かいながら5つの「スタン系国家」を制覇し、冬が来る前には中国へ陸路で入れればと考えていた。
そこから先はもうイージーモードだ。中国から韓国へと船で渡り、釜山から博多までフェリーで帰還するのも良い。もしくは、予算と時間が許すなら、中国から南下して東南アジア方面へと抜けるのもありだ。インドやネパールなど自分にとって未知の地域にも行ってみたいし、中国単体でも絶対に旅するのが楽しいことは間違いない。
…とまあこんな感じで、2026年から2027年にかけては、これまでののんびりジョージア滞在とは対照的な、がっつりと旅する一年になるはずであったし、絶対に行きたい町やざっくりとしたルートはすでに考えていた。その計画している時間すら、充実したものだった。
…だけど。

なんだかもう、全てがどうでもよくなってしまった。
アゼルバイジャンの市場を彩る初夏のフルーツも、カスピ海を船で越える浪漫も、カザフスタンの鉄道旅も、ウズベキスタンのエキゾチックな町並みも、キルギスのゲルで寝る体験も、トルクメニスタンの知られざる魅力の発掘も、タジキスタンの4000m級の山々も、中国で感じる長い歴史も、本場で食べる韓国料理も…
なんかもう、ぜんぶ、どうでもいい。
シルクロードを旅する浪漫?山々が織り成す大自然との対峙?陸路旅ならではの継続性?他の旅人とのかけがえのない出会い?ユーラシア大陸を西から東へと陸路で横断したことの達成感?
…まじで、ぜんぶ、くっそどうでもよかちや。いらんわえ。
ポルトガルを出てからここまで、すでに7年半。上記の旅程が全て順調に行くとすれば、日本の大地を踏むのは9年ぶりのこととなる。その瞬間の感動はきっと、想像もできないほどに大きなものとなるに違いない。
でも、今は、そういうのもういい。
そう思ったら、行動するのは早かった。「トビリシ 日本 フライト」で検索し、ターキッシュエアラインズのイスタンブール乗り継ぎ羽田行きの便を見つける。今日発だと片道16万、明日発だと片道14万と、思っていたよりだいぶ安い(ちょうどイランでのあれこれによって、原油不足や中東経由便が運休していたので航空料金が高騰していた)。
トビリシから日本へ帰るとして、問題は「いつのフライトにするか」だ。
本日(2026年4月13日)発のフライトでも空席があるようだが、トビリシ出発時刻は21時。2時間前には空港に着いておきたいので19時。トビリシ中心街から空港まではバスで1時間なので18時。そして今の時刻は16時過ぎ。
ちょっとギリギリすぎるか…
明日の同じ時間発のフライトにすれば2万円ほど安く済むし、午前中にジョージア土産を買いに行けるほどに時間的余裕がある。
「やっぱり今日は様子を見ながら荷物を整理して、明日のフライトにするかあ…もし考え直して帰国しないようにするのなら、考え直すこともできるし」なんて思い始めながら、鏡をふと見やる。
そこに映った自分の鼻は、もはや衝撃的だった。
つい数十分前、なんだか赤黒みを帯びていたように見えていた鼻尖は、完全に黒く変色して壊死しているよう。感触はぶにんぶにんのゴムのようだ。鼻の中では右と左の穴を隔てる鼻柱が、こちらもぶにんぶにんになっており、膿が固まった瘡蓋を剥がすと大きな穴が空き、左右の鼻が内部で意図せず繋がってしまった(今は昔、若く調子に乗っていた頃、この鼻柱の部分に「セプタム」と呼ばれるピアスを開けていたのだけど、開けるときにかなり痛い思いをしたのはなんだったのだろうか…)。
というか、普通に鼻をお持ちの読者のみなさんには自分の鼻の穴をぜひ触ってみて確認してほしいのだが、左右の鼻の穴を隔てる鼻柱というものは、粘膜だけではなく軟骨のような骨で形成されていなかっただろうか(※「だろうか」と推量形で書いているのは今ののぶよには鼻柱がなく自分の鼻で確認できないため)。
普通に考えて、鼻のこの部分がびろんびろんになって穴が空くなんて想像も付かないだろうが、穴が空いてしまったものは仕方がない。自分でも「え?は?お?ほぇ?」と、自分の鼻に何が起こっているのか理解できなかったくらいだから。
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文字通り、心も鼻も「限界」だった。
だから、鏡に映った自分の瞳(こちらはどろんどろんの鼻とは異なり、生まれ持ったままのつぶらで純真な光を放つ宝石のような美しきたたずまい)の奥のほうをじいっと見つめながら、決めた。
「明日までなんて待っていられない。もう今日、今から、日本に帰ろう」と。
そして、クレジットカードの情報をぱぱっと入力し、日時の最終確認も、パスポート情報の最終チェックも、旅行行程の確認も一切しないまま、一瞬の躊躇いも迷いもなく、「購入」ボタンを押した。
終わった。7年半に及ぶ、世界半周が。
その刹那、大声を上げて、泣いていた。
「泣いた」なんて表現が甘っちょろいくらいに、日本語の動詞に対応するものがないくらいに、とにかく大声で咽び上げていた。
案の定、受付兼掃除担当のジョージア人ソ連糞ばばあがすっ飛んで来ては、「うるせえざんす!」と、中西部のどこかっぽい訛ったジョージア語(たぶんラチャ地方)で大声で怒鳴り上げてくる。この世の悪意全部詰めお徳用パックのようなばばあの醜い顔面に改めてやたらと腹が立って、手元にあった食べかけのピーナッツをばばあに投げ散らかし、「おめえがうるせえんだわ!もう今ここ出て行くからほっとけ!」と怒鳴り返して、無理矢理ドアを閉め、鍵をかける。
「もう出て行く」という言葉に満足したらしきジョージアばばあは、それ以上何も言ってこなかった。厄介払いできそうでせいせいしたのだろう。
それにしても、ジョージアという国の人間とは、最後の最後まで心から解り合うことができなかった。もちろん、良い人もたくさんいた。忘れられない出会いも数多くあるし、そのあたりはいつか何らかの作品や記事にまとめたいなあと思っている。
しかし、合計5年以上に渡って滞在した国の人々の気質や人となりを心の底から愛せなかったという事実に、滞在の終わりにようやく気がつくのは、なんと虚しいことだろうかと感じた。それほどに、ジョージアという国の人間(や、もっと言ってしまえば「文化」)は、残念ながら自分には合っていなかった。
そして、また大声を上げ、泣いた。
いったいあの涙は何の涙だったのだろうか。今思い返しても、あのときのぐちゃぐちゃな感情を言葉で正しく表すことができずにいる。
ジョージアを去る寂しさ?旅が強制終了となる悔しさ?周りの人の目から解放される安堵感?久しぶりに日本の地を踏める期待?ジョージアという国や人に対する落胆?
いや、違う。
悲哀?憤怒?諦念?悔恨?落胆?
どれも違う。
あれはきっとたぶん、「絶望」と「無力感」の涙だ。

これまで数年間に渡り積み上げてきた、ユーラシア大陸を陸路で日本まで旅するという経験。自分の辿ってきた道のりや経験してきたことに対してそれなりのプライドは持っていたし、この先もできる限り「陸路」というポリシーに従って旅を続ける予定であった。
そんな「なんとなく普通にありそうな旅している未来」との繋がりが、スマホのクリック一つでぷつりと切れたのだ。
たかだか16万だかを支払えばたったの20時間後には遠き日本の地を踏める。飛行機は今日の夜トビリシ発で、乗り継ぎと時差の関係で日本到着は翌日の夜となる。ビザや滞在登録について考える必要もない。鉄道のルートやミニバスの時刻表に迷う必要もない。
「そんなの、なんて味気ないんだろう」、率直にそう思った。同時に、そんな味気ないやり方でこれまでの7年半に及ぶ旅生活に幕を下ろすことを躊躇さえせずに決めた自分に、無性に腹が立った。
そして、「自分が大切に積み上げてきたと信じてきたものは、こんなに簡単に陳腐でありふれたものとなってしまうのか」と、あまりの無力感に絶望した。
そうして生まれたのがきっと、あの涙だ。
絶望という名の海は、普段はただひたすらに、恐ろしいほどに凪いでいる。憤怒の様相で荒れる大西洋や、哀愁を漂わせて小波が寄せては引く地中海ではなく、それこそまさに波風ひとつない黒海のごとく。
しかし、いつもは凪いだ黒海も、ときに大時化となることがある。いつ、どこから時化がやって来て、いつまで続くのかは誰にも分からない。絶望の波もきっと、同じようにして人間を襲うのだ。
嗚咽はようやく治まり、飛行機の時間まであまり余裕がないことに気がつく。2時間後には空港に居なければいけないが、トビリシ中心部から空港までは1時間ほどかかる。つまり、準備に当てられるのはあと1時間足らずというわけだ。
こういうときの自分は、とにかく強い。思い出だの、これからも使えるかもしれないだの、お気にいりだの、そういった概念とは関係を断ち切って、必要なものと必要でないものを瞬時に分別できる。
去年コーカサスの山々を一緒にめぐったテントと寝袋……要らない。
色々な山を共に歩いた、ちょっと古びたトレッキングシューズ……要らない。
アルメニア・エレバンのマイナス10℃以下の冬でも暖かく過ごせた冬用ジャケット……要らない。
こんな感じで、思い出を名残惜しむことすらせずに必要のないものを全て捨て、最小限の荷物が完成した。
あとは、トビリシ国際空港へ向かうだけだ。
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トビリシ国際空港を最後に訪れたのは2019年のこと。つまり、今から7年は前のことだ。
結構な時間が経っているのに、空港は相変わらず薄暗くて閑散としていて、なんとも旧ソ連っぽい湿っぽさが感じられる。ジョージアに初めて到着する旅行者が最初に見るのがこの光景だというのは、色々な意味でなかなか味わい深いものがある気がする。
ガラガラのカウンターで陽気なトルコ人スタッフに囲まれながらチェックインを済ませ、二階の出国審査へと向かう。出国審査には何故かやたらと時間がかかり(まあこれほど長い間ジョージアを出たり入ったりしながら居座り続けている人間を怪しむのも、審査官の仕事ってものなのだろうが)、担当の年齢不詳のお姉さん(おばさん?)もジョージア人らしい無愛想さ。先程のターキッシュエアラインズのスタッフの陽気からの落差が激しすぎて、可笑しくなってしまう。
最後の最後まで、ジョージアはジョージアだ。
出国審査にやたらと長い時間(別室などではなく、結局ブースで10分くらい立ったまま待たされた)がかかった理由を説明されることもなく、お姉さんだかおばさんだかよくわからない職員は相変わらずの無愛想さのままパスポートにスタンプを押し、ようやく飛行機に搭乗する。
トビリシ→イスタンブール便はガラガラで、トルコ人CAは「鼻の膿の臭いが気になるから、できるだけ周りに他の乗客が居ない席で」というリクエストにも問題なく応えてくれた(ターキッシュエアラインズ大好き!)

イスタンブールで2時間少々の乗り継ぎ待ちの後は、いよいよ羽田行きの12時間半長距離フライト。
フライトはかなり混雑しており、乗客の9割以上は欧州からの家族旅行者のよう。日本が旅行先として大人気となっているという話は多く耳にしていたが、それを裏付けるような光景を目の当たりにするとやはり驚く。日本行きのフライトなのに日本人CAが搭乗していなかった点にもびっくりした(まあこんなに日本人客が少なく欧米人乗客ばかりだと日本人CAの需要もないのだろう)が、日本語ぺらぺらのトルコ人男性CAが数少ない日本人客の対応をしていた。
羽田便の搭乗率は8割越えといったところで、「周りに他の乗客がいない席」のリクエストは明らかに無理だ。それでも、先程の日本語ペラペラトルコ人CAに事情を説明すると、左右に他の乗客がいない三人掛けの席へと案内してくれた(ターキッシュエアラインズ一生推す)。
はじめこそ順調だった羽田行きのフライトだが、結局これが地獄のフライトとなった。
高度のせいなのか、機内の空気の質のせいなのか分からないが、とにかく暑いのだ。周りを見回しても暑そうにしている人はいないし、どうやら自分だけが灼熱を感じているらしい。せっかくの機内食(しかも3食も出た)すら食る気力がなく、とはいえ眠りに就くこともできず、動くことさえままならない数時間を過ごした。
羽田まであと3時間といった地点では、自分の鼻から出る嫌な臭いが周囲に届いているのが明らかだった。トイレで鼻を洗ったり、マスクを5枚重ねにしてみたりと色々やってみたけど、もはや効果はなし。
トビリシではびろんびろんになり大穴が空いていた鼻柱は、もはや左右の鼻の穴の仕切りとしては機能しておらず、ただの粘膜の塊と化していた。黒く壊死していた鼻尖は黒い部分がいつの間に消えており(剥がれた?)、膿だらけの鼻の穴の中が外から見えるような状態になっていた。こう書くとなかなかグロいな…
到着前はもうこんな感じで、心も体もぼろぼろだったので、できるだけ悪臭を広げないようにマスクの上から鼻を抑えながら、「これ絶対ターキッシュエアラインズに悪臭=迷惑行為で訴えられて損害賠償請求されるやつや…ああもう人生終わった…」なんて本気で思っていた。そのせいもあってか、ちょっともう心が限界だったのかもしれない。
航空機はほぼ定刻通りに羽田空港に着陸した。乗客がどんどん降りてゆくが、我先にといった人は見られず、すでに日本らしい秩序を感じる(まあ乗客の9割は外国人なのだが)。
7年半ぶりの日本。さぞ感動したのではないかと思うかもしれないが、このときの感情は「無」だった。むしろ、なぜか自分だけが感じていた灼熱と、鼻の膿の臭いに関しての周囲への申し訳なさからようやく解放されることに、とにかく安堵していた。安堵しすぎて、立ち上がれなかったくらいだ。
他の乗客はもう全員降り終わり、何故か座ったまま呆けている最後の乗客を降ろそうと、日本語ぺらぺらトルコ人CAがやって来る。このとき、「ターキッシュエアラインズに訴えられる」という妄想にがちで囚われていたのぶよは、訴状を渡されるのかと勝手に思い込み、「やだ!やだ!聞きたくない!」とCAから逃げるように席を立ち、全速力で機内を走り、飛行機と空港を繋ぐタップで派手に転ぶなどしていた。
ただいま、7年半ぶりの、日本。
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飛行機を降りても妄想は止まらなかった。今度は「鼻がこんな状態でパスポートの写真とは違うから、日本に入国できない」という謎の強迫観念に駆られ、その場から動けなくなった(この時はもう完全に妄想の中にいたのに、今俯瞰してみると完全にちゃんと覚えてるのが不思議)。
自分と干支がちょうど一回りくらい違うであろう若い女性スタッフとその取り巻きが空港の警備隊を無線で呼んでくれ(そのうちの一人のぶす女スタッフがのぶよを見る冷たい目線は一生忘れやんからな呪ってやる)、車椅子に乗せられてとりあえず空港の保安エリア外に移動することに。
このときの記憶は若干曖昧なのだけど、入国審査も、税関も、預け荷物を取るのも、全てスルーして外に出ている。日本の入国スタンプは押されていないし、税関の手続きなんかも一切何もしていない。ただ車椅子に乗り、預けていた荷物を取り、そのまま車に乗せられ、気づけば都内の病院にいた。
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日本到着からの流れが怒涛すぎて、みなさんが着いてこられているか心配なのだが、だいじょうぶ。のぶよ自身も、ちょっとこのへん、何が起こったのかよく分かっていないので。
とにかく一つ確かなことは、いま小山のぶよは、ジョージアではなく日本にいる。それも、天下の東京に。

つい数日前まで普通に毎日使っていたジョージアラリの小銭を財布から出し、日本円の小銭をじゃらじゃらと入れる。そうだ、日本では百円玉が重要なのだ。できるだけ切らさないようにキープしないと。
こんな感じで、かつて日本で「生活」していたときの日々の習慣が、自然と、そしてふたたび身に吹き込まれる。「ああ、やっぱり自分はこの国で育ったんだ」と実感する。それと同時に、これまで身を支配していたジョージアでの日々の習慣は、気がついたときにはいつの間にか消えているのだろう。それが再インストールされる日は、果たして来るのだろうか。
鼻に関しては、検査に次ぐ検査ばかりだ。癌やリンパ腫なんかが心配されていたけど、どうやら異常はないらしく、「副鼻腔炎を患っていたところに何かしらの細菌感染が起こったのではないか」とのことだ。いずれにせよ、命に関わるような病気ではないらしい。
東京の病院というのはものすごい場所で、「鼻」という一つの器官に発生した異常の原因を正確に判定するために、血液や胃、大腸に肺に肝臓に腎臓に…と考えうるすべての可能性を潰していくのだ。
「地元の某病院だったら、レントゲン撮って高いお金払わされて終わりだろうなあ」なんてぼんやり考えながら、「鼻以外の臓器は10代」と担当医に言われた自分の体の強さに改めて感謝する(しかしまあ、あれだけ毎日煙草を吸いまくりビールを2.5L飲みまくりあげる×10年以上で正常以上に健康な状態の肺や肝臓や腎臓をキープできている人間というのもなかなかすげえ)。
心配なのは入院や検査にかかる費用だったのだけど、こういうときにこそ日本という国のすごさを実感させられる。
日本では、ひと月にかかる医療費の一人あたりの上限がちゃんと決まっており、収入に応じた適正金額以上の医療費がかかる場合は控除される。つまり、高額な治療を受けようが、1ヶ月丸々入院しようが、払えないような高額請求が後から来るような某アメリカ的なことにはならないのだ。
それに加えて、日本の医療分野は色々な助成金も豊富だ。なんと鼻の再形成手術(失った小鼻を新しく作る手術)まで保険でカバーできるというのには驚いた。病院の食事は意外にもとても美味しく、栄養バランスもちゃんと考えられており、結構至れり尽くせりかもしれない。
政府ガー物価高ガー税金ガーとツイッターで文句しか言っていない人らは、まじで一回自分が生きている国が欧州だの北米だのに比べてどれほどにまともで、どれほどに多くのセーフティーネットが存在し、どれほどにちゃんと私たち国民が払った税金が社会に還元されているのかを、一度立ち止まってフラットな視点で見て考えるべきだ。
とにかく、現在の入院費や治療費などをざっくり計算しても、本来今年の中央アジア旅に費やすはずだった予算内に余裕で収まりそうなので、破産するようなことにはならなそうだ。良かった良かった。

一瞬、「クラウドファンディングで入院費を集めたら良いのでは?」なんて邪な(?)考えが頭をよぎったりもしたものの、のぶよはそういった「自分の尻拭いを他人様にどうにかしてもらおう」的なはしたない生き方は美学に反するタイプの卑弥呼なので、普通に生きていくことにします。
まあ、そんな感じで。ジョージアを出国する前後にいったい何があったのか、今どこで何をしているのかなど、ここ数週間の沈黙の答えは全て書いてきたはず。
これからどこで何をどうやって生きていくのか、今のところはまだ何も考えていないですが、成らぬは人の為さぬなりけり。自分のことは自分でどうにかしてくしかないって、古くは上杉鷹山が、最近(?)では浜崎あゆみが言っていることだし。
というわけで、のぶよを応援したい!という風変わりな人は、過去に書いたジョージア&アルメニア関連のe-bookや、絶賛発売中の紙の本『ジョージア ローカルグルメはしご旅』をご購入いただければ、ほんのちょっぴりのぶよの懐もうるおうはずです。(※購入は作品紹介ページからどうぞ)
というわけで、本日からtwitterの更新だったり、ブログの更新だったりと、これまで通り平常運転していきます。しかしながら、内容的にはジョージア関連や旅関連からはちょっと離れそうな予感。どんな感じで運営していくかは、色々と試行錯誤しつつまたお知らせできれば…!

我が名は、小山のぶよである。
小鼻は、まだない。
そういえば、今日5月6日は我が誕生日だったりする。
自分よりもさらにうん十年前の同じ日、この世に生を受けた大・大・大先輩の吉田美和さんも、「誰かや何かに怒っても出口はないから」なんて言っていたし、鼻くらいなかろうが別に匂いは分かるし人生そんなに悪くもないし、そのうち韓国アイドルもびっくりな綺麗なお鼻とともにガマルチョバしちゃうので、まあみんなこれからもよろしくねん。そんな気分。



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