海というものは、どこまでも果てしなく広がるものだと思っていた。
水色、エメラルドグリーン、ターコイズブルー、群青…
そんなさまざまな「青」が視界の限りずっと続いていって、これまた青く広がる空と混じり合う。青以外の色など存在しない。それこそが海。
終わりが見えない青の世界は、時に恐ろしくも感じられる。
地球が平面だと考えていた昔の人が、大洋の果てには滝があり魔物が待ち構えてると信じていたことを嗤う気にはならない。
内陸国のアルメニアには、もちろん海はない。
しかし、アルメニア人たちが「海」と呼ぶ場所がある。
それが、国内最大の面積を誇るセヴァン湖だ。
標高1900メートルの高地に広がるこの湖は、南米のチチカカ湖に次いで世界で二番目に高い場所に位置する湖らしい。
その湖水はどこまでも澄みきった美しいもの。何とも言えないたくさんの青のグラデーションがとても絵になる。
セヴァン湖は観光地としても人気のエリアだ。
特に夏場は、果てしない灼熱の日々にしびれを切らし、水辺への渇望に耐えかねた首都エレバンからの湖水浴客で大賑わいとなる。
セヴァン湖はとにかく広大だ。
面積が何平方キロメートルあるのかは知らないが、たしかに「アルメニアン・シー」の呼び名にふさわしい風景が見渡す限り広がる。
しかし、いくら海のように見えても、ここは海ではない。
どこまでも果てしなく広がる紺碧から、その終わりの見えなさから、古くから畏怖の対象となってきた海とは異なる。
セヴァン湖はどの地点からでも対岸の風景が見える。
多くの旅行者や湖水浴客が訪れる西岸からは、ジオラマのように起伏に富んだ荒涼たる大地から成る東岸が見える。しかも、わりと間近に。
透き通る青のグラデーションの向こう。荒涼とした大地には、大小さまざまな山々が連なる。
その山々の先はもうアルメニアではない。アゼルバイジャン領だ。
肉眼でもすぐ近くに望める、まだ見ぬ国の山々。
距離にして数十キロほどしか離れていないにもかかわらず、その大地は実質的に果てしなく遠い。
アルメニアとアゼルバイジャンは、長年にわたる戦争や領土問題によって国交が断絶された状態にある。
国交がないということは、いくら地理的に国境を共有していようが、何人たりともそれを越えられないということだ。
たった30年ほど前。あの荒涼とした山々は国境ではなかった。
アルメニアもアゼルバイジャンもソ連という一つの国に属していたからだ。
ソ連時代を知る世代はこう言う。
「昔はアゼルバイジャンに対する憎しみなんてなく、それなりに交流したり、まあ仲良くやってた」と。
たった30年。いわば、自分がこの世界で生きているのと同じくらいの期間で、二つの国を隔てるあの山々は、人々の立ち入りを拒む見えない鉄条網となったのだ。
この「海」を越えた先に、まだ見ぬ国の山影が、大地が、空が、すぐそばに見える。
しかし近づけば近づくほどに、手が届かないほどの遠さをまじまじと感じるのはどうしてだろうか。
なんだかまるで、片思いでもしているかような不思議な感覚になる。
いち旅行者がこの二国間の関係をいくら憂いたところで意味がない。
しかし、見えない鉄条網の西側の小国にある程度の期間滞在していると、どうしても反対側の国が果てしなく遠いものに思えてしまう。
いつの日か。この「海」を渡り、荒涼とした大地を越え、あのジオラマのような山をまたぎ、まだ見ぬ国をこの目で見られる日が来るのだろうか。
それが叶った日には、「海」の対岸で、近くて遠い隣国に想いを馳せていたことを、懐かしく思い出すのだろうか。
普段は旅行情報や海外情報を主に発信している当ブログですが、これまでの旅を通して感じたことをフォトエッセイ形式でお届けする新企画が「世界半周エッセイ」。
各国で体験した出来事や、出会った人たちとの思い出がテーマとなっています。
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