こんにちは!海外在住7年目ののぶよ(@nobuyo5696)です。
皆さんは「白人特権」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
人種差別の土台となっていると言われる社会構造に関する言葉なのですが、欧米圏ではかなりデリケートな問題となっています。
単一民族と言われる日本では、なかなか表立って話題になることはないのが現状かもしれません。
アメリカで警察官によって取り押さえられた黒人男性が亡くなった事件をきっかけに、全米はおろか、全世界でデモが行われていることで注目された「白人特権(White privilege)」という言葉。
実は今回の事件よりもずっと前からアメリカだけでなく多くの「多民族国家」で指摘されてきたものなのです。
欧米圏に6年間住んでいたのぶよ自身も、感じたことは何回かあります。
今回の記事では、欧米圏にある差別の根底にあると言われる「白人特権」について考えていきます。
白人特権とは?その背景と問題点
そもそも「白人特権」とは何を指すのでしょうか。
あまりに漠然とした言葉でその解釈はいくつかあるのですが、簡単にまとめると、
「白人であることによって、生まれながらにして社会的・経済的に他の人種よりも自動的に優位に立てること」
を指します。
多民族国家として発展してきたアメリカやカナダ、オーストラリアやヨーロッパの国々では、白人をはじめ黒人やアジア人、その他の人種の人が共存しています。
しかしながら、こうした「多民族」と言われる国でも、人種によって異なるコミュニティーが形成されていることが多いです。
白人は白人と、黒人は黒人とそれぞれ異なるコミュニティーに属しており、白人のコミュニティー出身の人の方が社会的に優位になりやすいと言われています。
「21世紀の現代で、そんなことがあるの?」
と感じるかもしれませんが、それがかなり根強く残っているのが現状。
白人特権=人種差別というわけではなく、あくまでも欧米圏の社会システムが白人向きに出来上がっていることによって、それ以外の人種にとっては不平等な状態となっていることが問題なのです。
白人特権の背景:植民地主義
そもそも白人特権がどうして生まれたのかというと、欧米諸国による植民地主義・帝国主義が背景にあります。
人口的には少数派であるはずのヨーロッパ諸国の白人たちが、アフリカや南北アメリカ大陸をどんどん植民地化し、先住民たちの権利は奪われていきました。
西アフリカを中心に奴隷貿易が行われ、「黒人=白人よりも下」という構図が出来上がってしまったのです。
奴隷貿易が廃止され、人種による差別が撤廃されてから数十年の時が経ちましたが、一度根付いてしまった「白人の優越意識」や「白人がピラミッドの頂点に君臨する社会システム」は、目に見えない状態になりながらも欧米諸国に息づいているのです。
白人特権の問題:白人側の無意識
「自分が実際に差別を受けないと、差別をされる側の気持ちは絶対にわからない」とはよく言われることですし、のぶよが思うことでもあります。
歴史的に、白人が他の人種に差別されたり、奴隷として強制的に働かされたりといったことは少なく、数百年の間支配者であり続けた白人。
彼らの間では、自身は人種差別を実際に受けたことがないという人が多数派です。
現在でこそ、「人種差別はいけないこと」と学校で習いますし、人種差別的な考えを表明することはタブーとされてはいるので、あからさまな差別意識を持つ(もしくは、行動に移す)白人はかなり少なくなってきています。
しかし、実際に差別を受けたことがない白人たちが「差別はいけない!平等を!」と声を上げたこところで、他の人種からすると「いやいや、白人ってだけですでに特権を享受している立場の人が言ってもねえ…」となってしまうのが現状。
そう、白人特権の問題の本質はここにあります。
アメリカなどの多民族国家では、白人であることによって自動的に社会で優位に立てることが当たり前になってしまっていて、それを意識していない白人が非常に多いという点なのです
白人にとっては、好きなときに好きな場所に行けることは当たり前。
手ぶらでジョギングしようと、夜中にコンビニへふらりと出かけようと自由ですし、仕事の面接でも自分の能力をアピールすれば良いだけ。
ひとことで言うと、人生イージーモードなのです。
しかしながら、他の人種にとっては必ずしもそうではないもの。
職務質問をされる確率が高い黒人は身分証なしで外出することなんて考えられないという都市もありますし、アジア系の苗字を持っていると就職の応募段階ではねられてしまって、自分の能力をアピールする機会すら持てないこともあります。
つまり、白人でないというだけで、同じ国で生まれ育ったのに人生の難易度が上がると言えるでしょう。
差別的な言葉や行動を受けるという直接的な差別ではないものの、人種によって社会での生きやすさが異なるという間接的な差別につながる社会的構造が「白人特権」なのです。
実際に体験した「白人特権」
のぶよは「多民族国家」と言われるカナダで暮らしていました。
カナダというと、「色々な人種やルーツを持つ人が、みんな仲良く暮らす国」というポジティブなイメージを持つ人が多いのではないでしょうか。
それは決して間違いではありません。
(すぐ南に位置する地獄のような国との対比の結果かもしれませんが)
目に見える差別こそ少ないですし、比較的互いが互いの違いを理解して尊重する文化が根付いている国だと思います。
しかしながら、カナダでも「白人特権」はある程度根付いており、実際に現地の社会に入ってみると気づかされることもあります。
ここからはカナダに限らず、のぶよがこれまでの海外生活や旅の中で実際に感じた「白人特権」をいくつか紹介していきます。
ヒッチハイクのしやすさ
今でも鮮明に覚えているのが、アルバニアで出会ったイスラエル人(白人)によるひとこと。
ヒッチハイクをしながらバックパック一つでヨーロッパを旅行しているという彼は、お世辞にも「車に乗せてあげたい」と思えるような清潔感を持ち合わせているタイプの人ではありませんでした。
ヒッチハイクの話を色々と聴いているうちに、彼がこんなことを言いました。
「今日ヒッチハイクしようとした場所にインド人二人が先にいて話を聞いたら、もう2時間くらい同じ場所でヒッチハイクしたって言っててさ!俺が代わりに立ってヒッチハイクしたら、1台目で停まってくれたんだよね。これも白人特権かなあ!」
話の流れ的に冗談だったのかもしれませんが、正直全然おもしろくありません。
「それ、(白人ではない)のぶよに言う?」と、すごくモヤっとした気持ちになったことを覚えています。
仕事の得やすさ
白人であるというだけで、他の人種よりも就職の際に有利だということも否定できません。
カナダでは求人に応募する際に履歴書に写真を貼る文化はないため、オンラインで応募する際は氏名や学歴・職歴などを記載するのみです。
しかしながら、苗字を見ればその人がどんなバックグラウンドや出身であるかがだいたいわかってしまうもの。
明らかに外国人らしい苗字を持つ場合は、白人っぽい苗字の人よりも、応募書類の時点でふるい落とされることがあるのは有名な話です。
友人にオンライン英会話の講師をしているカナダ人(両親がイタリア人とフィリピン人、生まれも育ちもバンクーバー)がいるのですが、彼がこんなことを漏らしていました。
「オンライン英会話の講師で安定した収入を得るには、学歴や評判よりも見た目が一番。白人だったら、高卒で文法の説明もできないようなレベルの人でも普通に指名されるからね」
彼が所属するオンライン英会話の会社は、主にアジア圏の学習者向けにビジネスをしているそうで、学習者の大半が日本・韓国・中国・台湾の4ヵ国の人だそうです。
アジア系の外見の講師よりも、白人の講師の方が選ばれやすいという点には、私たち日本人にも思い当たる点があるのではないでしょうか。
無意識に「英語=白人に習うもの」という意識が、日本人の中に根付いている点は否めないと思います。
旅のしやすさ
先述のヒッチハイクの件に関連するのですが、白人とその他の人種では旅のしやすさに大きな違いがあると感じます。
基本的に世界中のどこへ行っても人種差別を受けることが少ない白人。
現地の人に優しくされる機会も多いでしょうし、怪訝な目で見られることもあまりないのかもしれません。
一方で、黒人やアジア人が旅していると物珍しそうに見られたり、警戒されたり、果ては人種差別的な言動を受けることさえあります。
白人が「この国は良かった!人はみんな優しいし、温かく受け入れてくれるし!」なんて言ってても、それは白人特権のおかげかもしれません。
他の人種にとっては全く違うように感じられることだって十分考えられます。
「私の親友は黒人だから!」という偽善
カナダにいる時によく話題となっていたのが、白人による「私の親友は黒人(アジア人)だから!」という表現。(“Some of my best friends are Black” defense)
「私は白人だけど、他人種の親友がいる」=「だから私は差別意識がない」ということのアピールの一種で、一時期よく耳にしました。
白人以外の人達の間では“Black friends defense”(「黒人の友達」自己防衛)と呼ばれ、「世界で一番親切な差別」と言われることもあります。
この発言の何が問題なのかというと、「自分は白人だけど差別意識はない」とアピール(自衛)するために、わざわざそれを白人ではない相手に伝えることの偽善でしょう。
もしお互い白人同士だったら「私の親友は白人だから!」なんてわざわざ言うことがないのに、相手が白人以外だったらあえてそれを伝えて「自分は差別主義者ではない」と防衛線を築くこと。
この時点で、白人同士のコミュニケーションにはない「人種の色眼鏡」を通して相手に接していることとなり、それを無意識でしているという点に「私たち白人とそれ以外」という社会的な断絶が感じられるのです。
のぶよ自身も、初めて会ったフランス人に「私の親友は中国人なの!」といきなり言われたことがあります。
正直「うん、だから…?」って感じしかなかったのですが、結局「私たち白人とは違うアジア人」として見られていたということですよね。
白人特権に苦しむ白人もいる
こうして見ていくと、生まれながらにして「白人特権」を持つ白人たちはずるいと感じてしまいますし、「白人=差別意識がある」と単純に考えてしまう人も多いかもしれません。
一つ注意したいのが、白人が生まれながらにして持つ「白人特権」は、本人が望もうと望まなかろうと自動的についてくるものである点。
例えばある白人が「白人特権」に嫌気がさして、心から他の人種の人と対等の生活を送りたいと考えても、その人個人の力ではどうにもならない部分があるのです。
最も身近な例としては、日本で生活をする白人。
英語圏の国では、日本は英会話講師など簡単に仕事が見つけられることで有名で、小遣い稼ぎがてら働いているような人もいるほどです。
白人で英語ネイティブともなれば、日本での生活がどれだけ簡単にいくものか、私たちも簡単に想像できるのではないでしょうか。
観光地に行けばお客さんとして好意的に迎えられ、仕事は簡単に見つかり、友達や恋人を作ろうと思えば、白人とつながりたい&英語を勉強したい日本人がわんさかいることでしょう。
しかしながら、こうした「白人だから受けられる特権」を使いたくないと思っている白人だっています。
・日本人と同じような環境で生活したい。
・いつまでも外国人として扱われたくない。
・英語の辞書のように思われたくない。
そこには色々な理由があるでしょう。
しかしいくら日本社会に溶け込もうと努力したところで、結局は白人として扱われてしまうもの。
本人の意思に反しながらも、「白人特権」と共存するしかないという点には、彼らにしかわからない苦しみがあるのかもしれません。
(もちろん特権を最大級に利用するタイプの人もいるので、本当に人それぞれです)
また、本心から差別をなくしたいと考えている白人だってたくさんいるでしょう。
というか、そういう人が大多数だと思います。
しかしながら、長い間差別されてきた他の人種の側からすると「差別されないお前ら白人に何が分かる?」と思われてしまいがちなもの。
いくら白人が声を上げたところで、結局偽善的に捉えられてしまうというのは、かなりのジレンマなのかもしれません。
異文化共生やグローバリズム、言語問題に関して、白人が少しでも異議を唱えて保守的な意見を表明しただけで「レイシスト(人種差別主義者)」という烙印を押されてしまうのも大きな問題の一つ。
例えば、のぶよが生活していたカナダのケベック州ではフランス語が公用語で、移民政策もフランス語が話せる人を優遇して行っている州です。
周囲を英語圏に囲まれているという地理的・歴史的な背景があり、住民の間でもフランス語を守ろうという意識がかなり強いです。
そこにフランス語を話せない外国人がやってきて、「ケベックでは英語しか話せないと、フランス語話者と同等に扱われない。これはフランス語話者による言語差別だ!」と声を上げているのを何度も見聞きしたのですが、それってどうなのでしょうか。
「かつて世界中でひどいことをして、現在でも社会的に特権がある白人だから、リベラルでなければいけない。多文化社会やグローバリゼーションに絶対的に賛成しないといけない。さもなければレイシスト」
というのは、あまりにも乱暴すぎる意見ではないでしょうか。
自分が社会的弱者であることを逆手にとって、他人種が白人をバッシングするという動きもないわけではなく、一歩間違えれば白人に対する逆差別へと繋がってしまう可能性もあります。
歴史的・社会構造的な背景もあって簡単に結論づけることはできないのですが、「レイシスト」と呼ばれないように気を遣ってばかりの白人たちを見ると、何とも言えないモヤモヤした気持ちになります。
まとめ
「白人特権」について色々と考えてきました。
簡単にどうすれば良いと言えるような話ではなく、個人の意識ではどうしようもないという点に、この問題の根深さを感じます。
この世界全体で白人が生きやすい環境であるのは事実ですが、白人だから誰もがその特権の恵みを受けたいと考えているわけでもありません。
結局は異なる人種による対立の歴史が根強く残っているという話になるのですが、これを解消していくことは簡単ではないでしょう。
私たちにできることと言えば、「白人だから~」や「黒人はこうで~」など、ある人を人種によって区切る意識を少しでも少なくすることぐらいなのかもしれませんね。
コメント