9ヶ月ぶりにトビリシに滞在した。
9ヶ月前。7月のじりじりと灼けるような日差しを浴びながらトビリシを出発し、ジョージア国内をまわる旅に出た。
あのときはまさかこんなに長いこと、この町に戻って来ないなんて思ってもいなかったのだけど、そろそろ一度アパートの荷物の整理をしなければならないし、お気に入りの食堂にも再訪したいし、新しい服だって少しは買いたい。(トビリシは洋服が安い)
冬の間4ヶ月ほど滞在していたバトゥミからトビリシまでの移動は、270kmほどしかない距離の割に時間がかかる。ローカル鉄道を乗り継いで行くことにしたから、余計に。
トビリシ行きの鉄道に飛び乗った朝。だんだんと変化していく車窓からの風景を眺めながら、ソ連時代の列車にゴトゴトと揺られる。
なんとも旅情に溢れた時間。長距離を移動するのは久しぶりだし、新鮮な体験に心が躍るのを感じる。
なのに、いま自分がトビリシに向かっているという実感が、なぜだか湧かない。
「きっとトビリシに到着すれば、帰ってきた実感がどっと湧いてくるのだろう。」そう思っていた。
長い長い鉄道旅。ようやくたどりついた終点のトビリシ中央駅には、9か月前と何ひとつ変わらない風景が広がっていた。
地図を確認することもなく、鉄道駅を抜け、街の雑踏へと溶け込む。
そもそもトビリシで暮らしていたエリアがこの駅の近くだったこともあり、このあたりの小さな路地の一つ一つや、所狭しと並ぶ露店の一つ一つが飽きるほどに見知った風景だ。
なのになぜだろう。懐かしく感じる気持ちや、帰って来たという感動はいっこうに湧き上がってこない。
むしろ、なんだか見知らぬ町にぽつりと放り込まれたかのような、孤独にも似た感覚を覚える。
列車内で思い描いていた予想とは異なる感覚に少し戸惑いながらも、トビリシ中央駅から徒歩十分ほどの場所にあるアパートに着く。
三部屋あるうちの一部屋に、二年近くの間住んでいた。残りの二部屋にはおなじみのロシア人ルームメイトたち。かつての自分の部屋には、数ヶ月前にジョージアに来たという新しいロシア人が住んでいる。
何一つとして変わっていないアパート。強いていうなら、自分が居たときと比べて見違えるほどに綺麗になっていることくらいだろうか。(新ロシア人は無類の綺麗好きなのだとか)
とても懐かしいし、落ち着く空間。なのにやっぱり、自分の場所ではないような気がしてならない。
この空間で二年近く生活していたことが、まるで他人事のように、長い白昼夢でも見ていたかのように思えて仕方がない。
翌日からは、トビリシで再訪したかった場所を勢力的に訪れた。
ここ9ヶ月の間で新しくできたというカフェや、再開発が完了したというエリアなどを訪れようとも思ったのだけれど、自分が知っている「トビリシ」を見つけてそこに身を置きたかった。ここがまだ「自分の町」なのだと実感したかった。
だから、行ったことがある場所に絞って足をのばすことにした。
絶品の炭火バーベキュー屋。喧騒に満ちた市場。ジョージアで一番旨い(と信じている)ペリメニ店。おもちゃの町さながらのトビリシ旧市街。トビリシ最安値でジョージア料理が食べられる食堂…
どの場所も何ひとつとして変わっていない。温かな風情で、久々にトビリシの地を踏んだ人間を迎え入れてくれる。
それでもやっぱり、どこもなんだか知らない場所のような気がする。
トビリシが変わったわけではない。変わったのは自分の方なのかもしれない。
一週間ほどのつかの間の滞在を終え、トビリシを発つ朝がやってきた。
前日、深夜2時半まで続いた旧ルームメイトのロシア人たちによるお別れ会(という名のただの飲み会)による睡眠不足と飲みすぎのせいでずんっと重たい体に、鞭打つように鉄道駅へと向かう。
鉄道駅へと向かう道の途中でふと後ろを振り返る。そこには変わらぬトビリシの混沌とした風景がちゃんとある。
もう自分の町ではないのかもしれないけれど、そんなことは関係ないとばかりに他所者を受け入れてくれる懐の広い町。それがトビリシなのかもしれない。
「またそのうち、ふらりとやって来よう。」そう思いながら、ゆっくりと動き出した列車の車窓の外に広がる灰色の街をぼうっと眺めていた。
普段は旅行情報や海外情報を主に発信している当ブログですが、これまでの旅を通して感じたことをフォトエッセイ形式でお届けする新企画が「世界半周エッセイ」。
各国で体験した出来事や、出会った人たちとの思い出がテーマとなっています。
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